山奥の集落跡
ピンクと白と緑の色どりが美しい。満開よりも、このくらいの開き始めの花が美しい。
昨日の前黒法師岳の急な登り道の途中に「湯山集落地跡」というのがあった。
石垣を積んだ5~6軒の家の跡である。
こんな山の奥、しかも急斜面に人が住んでいたんだと驚く。
跡地に植林された桧の木の大きさから、それほど昔ではない。せいぜい20~30年前までであろう。 ここを離れて麓の寸又峡温泉のある集落へ移ったそうである。
私たちは、どうしても平野部、海岸地を中心に考えてしまう。
どうして、こんな山奥に、、、、と。
何も、平家の落ち武者が始めて山奥へ逃れて住むようになったのではない。
大昔の縄文時代より、山の人々は、深い山の中で狩猟や木の実を採取、急斜面の山肌を耕し、焼畑農業で穀物を栽培し、又は炭を焼いて生活を営んできたのである。。
この湯山集落には温泉が湧き露天風呂があった。そこから温泉を4Kmの麓に引いて出来たのが寸又峡温泉である。
1968年、在日韓国人、金嬉老が猟銃を持って、客と旅館の従業員を人質に旅館に立てこもった事件を覚えている人もおられるでしょう。
これは、その旅館「ふじみや」である。
私たちは、その直ぐ横の民宿「深山荘」に泊まったが、昨夜は美味しい料理とビールに冷酒、すっかり酔いが回ってぐっすり眠った。
この深山荘のおばあちゃんは湯山集落からお嫁に来たそうである。
自宅には10時半頃、帰宅した。
くたくたの日帰り登山よりも、温泉一泊登山が良いね。
今夕の料理、妻が一昨日から調理用杏子ジャムに漬け込んであった鶏と豚肉をオーブンで焼いた。途中、焦げないように、アルミホイルを被せてた。
やはり、杏子ジャムの甘さと塩味もしっかりとついて、とっても美味しかった。
焼きアナゴのドンブリも美味しかった。
留守中もお利口だったようだ。
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コメント
いつもいつもおいしかった話を聞かされて、、、そのうち
ウーーンとうならせてさしあげましょうぞ!
投稿: なぎさ | 2006年6月22日 (木) 21時56分
登山に温泉、そしておいしいお料理。極楽ですね!
私は”登山”というと、子供時代のきつくてつらい印象しかありませんでしたが、「そっか~、泊りがけで行けば良いんだ」と目から鱗でした。
奥様作、調理用杏ジャム漬けお肉、とてもおいしそうです。
投稿: riezon | 2006年6月22日 (木) 22時27分
お帰りなさいませ~。ご無事でなにより♪
ボクもばら色婆ァバさん、riezonさんと同じく登山は苦手…。
数年前、友達に騙されて福島県の安達太良山に連れて行かれ、無理やり登らされた(しかもボクは革靴を履いてた)記憶が蘇ります。登山はともかく(?)温泉、山の幸お料理!!羨ましい~。
お肉の杏子漬け、おいしそうですね~。
投稿: さるじゅ | 2006年6月23日 (金) 07時34分
山登り・・・(*^。^*)
いいですね・・・♪
更年期でこのところ、体調の優れないわたしは、
気持ちよさそうでうらやましいです~(^-^)
投稿: こつ | 2006年6月23日 (金) 13時27分
高い険しい山は危険も伴い、体力も要りますが、普通の道や峠越え、知らない街など、地図見ながらリュックを背負って、とことこと景色を見て一日中歩くのも楽しいですよ。
ナベショーは、3年前に松戸から江戸川堤防を歩いて、関宿の利根川合流点まで、さらに東武動物公園前まで歩きました。
お昼はお湯沸かして、ラーメンつくったり、お汁粉作ったり、お茶やコーヒー沸かしたり、、
投稿: ナベショー | 2006年6月23日 (金) 22時06分