山葵栽培発祥の地 有東木から青笹山へ
静岡から安倍川に沿って県道梅が島線
右側の有東木と書かれた木の標識の坂道を登っていくと、山葵栽培発祥の有東木の集落
400年前の慶長年間、野生の山葵の栽培に成功し、駿府の徳川家康公に献上、
徳川家の葵の御紋と同じ、、大層喜ばれたという、
その後、有東木の山葵栽培の技術は伊豆にも伝えられ、全国に広まる。
急な谷間の激流に石を積んで山葵田を作った先人の苦労と努力には頭が下がる思いである。
大雨による谷川の氾濫、幾たびかこの山葵田が破壊されたことだろうか
途中、村の人達が山葵田の周囲を2mくらいのネットを張り巡らせていた
鹿の群れが山葵を食べる被害が続出してそうである
やがて山葵田が無くなり、美しい雑木林のなだらかな登山道を登っていく
1000mくらいの標高、石を丸く積んだのは炭焼き窯の跡であろうか
また、石を積んだ階段状の跡は、水田、畑、民家の住居跡?
標高1000m近くのこんな山奥に、昔人が住んでいたなんて、、
信じられない、、、さぞ不便だったろうとついつい思ってしまう。
大きな川、海の側、要するに平野部の開けたところに人が沢山住み、そこから離れた山奥ほど不便で、人は少ししか住んでいないと考えるのは、早急である。
狩猟、木の実、芋、焼畑農業、薪、木炭などの燃料、、、、人々の生活はむしろ豊かだったかも知れない
山登りをしていると、石を積んだ人々の生活跡をよく見かける
尾根の稜線に出て、高い熊笹の中の道を歩き、1550mの青笹山頂上に着く
ガスッて、ほとんど展望がきかない
よく晴れていれば、雄大な富士山が眼前に横たわる
頂上で食事、
帰路はなだらかな尾根道を歩き、細島峠から急斜面の勾配を一気に下山する
これらの峠は静岡側から冨士、山梨側への生活道として昔はよく利用されたようである。
45度の急勾配斜面をジグザックに一気に下る、、
尻餅をつかないように、、、
山での遭難、滑落事故は、ほとんど下山中
足首から膝ぼん、腿、腰全体でバランスを取って歩かないと、下り坂は危険である
こうして、ナベショーも妻も久しぶりの登山だったが、麓の車のところまで無事に下山できた
6月21日に1941mの前黒法師岳を登って以来
腰の腰椎骨折の回復、まずは大丈夫のようである。
谷の山道に生えていた山葵、途中の茶店で買った山葵(500円)、、
モンタはお留守番
帰ってくるなり、外へ飛び出した
コンクリーの上で、ごろごろ、、、
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コメント
おはようございます。
奥さまと登山いいですね。
山は、白山しか登った事がありませんが、近くの低山のハイキングからぼちぼち始めたいと思っています。
静岡は、近いのに行ったことがない場所が多く(新幹線で景色を眺めるだけ)、機会を見つけて行きたい場所がたくさんあります。でも、老後の楽しみになってしまうのかな?
投稿: ぞう | 2006年9月23日 (土) 04時43分
奥様と同じ趣味・同じ嗜好っていいですね。
我が家は、趣味も嗜好も逆・・・よくぞ40年も一緒にいるなぁ、と思いますよ。
山道で採った山葵は、本体こそ小さいけれど(多分香りは強いのでしょうね)、葉が美味しそうです。出来たものを見せてね。
投稿: ばら色婆ァバ | 2006年9月23日 (土) 06時25分
ぞうさんさま
山でなくとも、平地、里山、海岸、河川の堤防などを歩くのも楽しいですよ
静岡は歩くところが沢山ありますね
老後を待たずとも、間もなく子供は子供、親は親で、、となりますよ
投稿: ナベショー | 2006年9月23日 (土) 09時27分
ばら色さま
ご主人教育、、まだまだ大丈夫ですよ!
相手に合わせすぎることなく、自分の好みを押し通すことも大切ですね
ナベショーは30数年間、妻を強引に合わさせましたがね~
山葵漬け、、さあ、どんなのができる事やら、、、?
投稿: ナベショー | 2006年9月23日 (土) 09時35分