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2006年10月31日 (火)

畑を耕す、、楽しいよ!

Img_0409syukusyou ヤナギハナガサ

 外来の帰化植物、観賞用として入ってきて、広がったもの(オラケタルさまより)

 わりと、いろんなところに咲いている

 空き地、道端、何時の間にか花壇にも、、

 小さなピンクの花、、、あまり目立たないが、こうしてあらためてマクロレンジで近接撮影してみると、、、、

 意外と綺麗じゃないか!!

 今日も畑、、、朝一番に山の峠近くの養豚場、豚糞置き場へ、軽トラで行く。

Img_0754 Img_0753                          

 細かい木屑に豚糞がくっついて発酵したのを、毎日のようにダンプカーで、養豚場から運ばれてくる

 少し奥の山間の養豚場では2000頭以上の豚が飼育され、時々輸送車で丸々太った豚が満載で走ってるのを見かける。

 園芸店や牛の牧場では牛糞堆肥が一袋20Kg、200円など、かなり高い。

 しかし、ここの豚糞堆肥は、無料 タダである。

 知る人ぞ知る無料の豚糞堆肥、、多くの農家や家庭菜園してる人達が取りに来る。

 ナベショーもかなりいろんな人に教えてあげた。

 今年、冬に軽トラ2台分運んだのを、春野菜、秋野菜を植える時に、元肥料として全部使ってしまった、、

 玉ネギ用に、2週間前から、あらたに耕し始めた土地、約30センチの深さ、ツルハシとマタ鍬で掘り返し、石も取り除き、ほぼ出来上がった

 一日、午前、午後かかって 1m 半坪くらいしか耕せなかった。

 今日は、遂に予定エリア全部を耕し終えて、運んできた豚糞堆肥を蒔いてすき込んだ Img_0757_1 Img_0763

 

 しかし、ずいぶんとたくさんの石が出たものだ。

 昨年の秋から始めて、ここの畑を開墾するのに出てきた石の山   

 以前は水田だったらしいが、どこかから土を運んできて埋めたらしい。Img_0722 Img_0721

 

 手前に玉ネギ用の二畝が加われば、昨年から開墾した畑は全部で10畝、約30坪くらいになろう

 今は、どこかの山の土をダンプカーで運んできて、ドサッと置いて畑は出来上がり、、、またはユンボで掘り返して出来上がり、、、というのが多い

 でも、ナベショーは大きなツルハシと二股鍬で、人力で順番に掘り返して、土を砕き、石を除いて、堆肥を入れて、、、

 昔の人達は、原野の木を切り、根っこを掘り起こし、畑も水田も、山の茶園も、牧場も、そうやって根気よく開墾してつくったのである。

9月末に苗を植えたり、種を蒔いた野菜が大きく育ってきたImg_0758 Img_0761 Img_0762

 白菜、京菜、青首大根、、、、

 ほかに、春菊、キャベツ、ブロッコリー、チンゲン菜、ほうれん草、人参、九条ネギ、ワケギ、ラッキョ、聖護院大根、、、、、

 家で食べる青物野菜は、これらの間引き野菜で十分食べきれないほどである。   

 少しずつ、少しずつ、たいへんにならない程度に根気よく、作業を継続すれば、畑の面積も少しずつ広くなり、土も柔らかくなっていく

 山登りもそうである。

 どんなに重い荷物を背負ってても、ゆっくりした歩みでも、ひたすら足を交互に前に運び続けてれば、頂上に着ける。

 野菜作りもだんだん慣れて、上手になっていくだろう、、

 先日、NHK TV で定年退職者を能登半島の町に誘致し、町興しに、体験ツアーという番組があった。

 団塊の世代の定年退職に合わせて、最近はそういう番組、雑誌、新聞の記事が多い。

 定年退職後の田舎での農作業を中心とする生活、、

 農業で家族の生計を立てるわけではないので、ナベショー程度なら、そんなにたいへんではないよ!

 最低限の生活費は年金で保証されてるから、、、

 まあ、最初に軽トラと鍬、釜、スコップ などの農機具の先行投資は要るけど、、、

 ナベショーの場合は茶園を始めたので、そのための道具含めて約80万円の初期投資、

 あっ 蜜蜂にさらに10万円投資

 茶園をやらなかったら、軽トラ中古 45万円だけで十分である。

 畑は簡単に無料でいくらでも借りられるし、、、

 畑や茶園、蜜蜂の世話しながら、料理や花やガーデニング、ブログや青春18の汽車の旅や登山を楽しみ、、、、

 いつもは軽トラを運転してるけど、時々、おしゃれして不良爺さんのファッションで、SUVのRAV4を運転して街へ遊びに出かけ(いや、映画観て食事する程度だけど、、、)、ささやかなカルチャーを味わう、、、、

 定年退職間もない団塊世代の人達、、、こういう田舎の生活 いかが?Img_0766

 先日、超安かったロシア産タバラ蟹のハサミと胴が冷凍庫に残ってたので、茹でて身を取り出し、(ちょっと手間かかるけど、ドンブリにいっぱい)

 先日作ったイクラも少し残ってたので、、、、

 羅臼昆布の出汁で美味しい寿司ご飯を作った(妻が、、、)

 イクラと蟹の身、京菜の葉っぱと海苔、、の ちらし寿司

 ちょっと美しくて、美味しい Img_0751

 モンタは時々、一瞬の隙を狙って、開いたドア、破れた網戸から外へ遊びに出かけるが、家の中では、ほとんど、ソファーの上でこういう格好で眠ってるね~

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2006年10月30日 (月)

ドングリの餡子 後日談

Img_0468syukusyou ススキ

 秋の風になびくススキの穂、、

 美しい、、、、

 さて、10月27日(木)のブログにて、ドングリをたくさん拾ってきて、実を取り出し、煮て、砂糖入れて潰し、餡子にして、お萩を作ったことをお話した。

 その後日談を、、、、!!!

 翌日のお昼、孫達が来たので、ドングリ餡子のお萩を食べた。

 美味しい、美味しいと食べてくれた!!

 小学1年生の孫娘が言うには、、、 

 昨日、学校で「秋をさがそう」という授業、、担任の女の先生は、ドングリを拾ってきて、食べてみようとしたが、うまくいかなかったというお話をしてくれたという、、、。

 はは~ん ナベショーと同じことをされたな!!

 たぶん、皮が固くて歯ガ立たなかったに違いない。 

 それとも、渋いドングリだったかな~?

 そこで、孫達と公園に行き、餡子にしたシイの実のドングリを少し拾った。

 また、ドングリの種類にかんする資料をネットで調べてプリントした。

 ついでナベショーのブログ(ドングリの餡子、、)もプリントした。

 そして、それらの資料と共に、お萩を作った残りのドングリ餡子(プラスチック容器にいっぱい、、結構な量であった)を先生に少し味わっていただいたらどうか、、、と持たせてやった。

 今日の孫娘の電話報告、、、、

 「お昼の給食の時、先生がクラス全員に少しづつ分けて、みんなでドングリ餡子を食べたよ。

 とっても美味しかった、、、みんながおじいちゃんにお手紙書くって言ってたよ!」

 実は、貴重な残った餡子で、お萩がもう一度作れたのに、、、と全部惜しげもなくくれてやったことを、少し後悔してた、、、

 が、しかし、孫の嬉しそうな報告を聞いて、とたんにナベショーもルンルン気分になったのである。Img_0699_1

 あの、お味噌みたいな、必ずしもきれいな、、とは言えない餡子を、ナベショーを信用して、子供達全員と味わってくれた、、、、

 「これ!おじいちゃんがドングリで作った餡子だよ、 先生 食べてっ だって!」と言って差し出したこの餡子、、、

 先生は最初、どんな気持ちだったろうか?

 クラス全員で食べて、孫娘もさぞ嬉しかったろう。

 先生 ありがとう! 

  今日は二回更新した

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知床の羅臼産開きホッケ

Img_0436syukusyou ミソソバ(溝蕎麦)

 直径5~6mmの小さい花

 水田の縁やあぜ道、川原や堤防など湿り気のあるところに群生し、小さな可愛い花をたくさん咲かせる。

 イヌタデと一緒に同じところにたくさん咲いていた。

 子供がこの花をたくさん摘んで無心にままご遊びに熱中する。

 昨日、朝、知床の漁師、たけし様よりホッケの干物がクロネコのクール宅急便で届いた。

 羅臼昆布もサービスしてくれてる。

 今、北海道の知床の海はホッケ漁の最盛期である。

 網から揚がって来るたくさんの美味しそうなホッケを見ると、食べてみたくなって落ち着かない。

 さっそく、お願いして送っていただいたのである。

 一匹500Gr、たけし様手作りのホッケの干物 5枚Img_0715_1 Img_0718_1 浜の海風で干したものである。                        

    

 まずは定番どおり、朝食に焼いて食べた。

 大きくて、身が厚い(腹の部分は1センチ以上)ので、一匹を半分、二人で十分

 塩辛くもなく、薄すぎることもなく、丁度良い塩加減である。

 ホッケは、身を食べて、最後に残る程よく焦げた皮とその上についている脂肪、、、、これをパリッと食べる

 これがホッケで一番美味しい。

 もし、ホッケの身だけ食べて皮を残す人がいたら、こんな人には魚食わすな、、と言いたい。

 今まで、単身赴任時代には、好きだったから、ずいぶんホッけの干物は食べたが、ほとんどはカナダ、北アメリカ産、、、

 今回の知床のたけしさまのホッケは美味しかった。

 塩加減も丁度良いし、新鮮である。

 夕食には、小麦粉をまぶしてオリーブオイルで焼き、Img_0733 ローズマリー風味にしてみた。

 身が厚いので、少し弱火でじっくりと両面を焼く。

  ローズマリーの香りと調和して、これもなかなか美味しい

  二人で一匹を、朝食と夕食に楽しめた。

  たけし様のブログと羅臼昆布、ホッケの干物の直販ホームページは

  http://siretoko-21.cocolog-nifty.com/blog/  へどうぞ!!

Img_0743

 モンタ  眠いのではない、、、、フラッシュがまぶしいから目をつぶるのである

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2006年10月29日 (日)

お茶の世界史 アヘン戦争は何故起こったか?

Img_0431syukusyou ユウガギク(柚香菊)

 柚子の香りがするというが、、、

 庭に植えておくと、地下茎で増えて、どんどん固まりとなって増えていく。

 たくさんの白い花を咲かせる。

 春には新芽をヨメナと同じように摘んで、茹でて和え物にして食べると美味しいよ

 もう少しカメラを離して撮ると、こんな感じ、、、                             

 Img_0433 秋らしくて、好きな花、、庭の柿木の下に植えたら増えて白い花と赤い次郎柿の実とが調和して美しい。

 今日もお茶にまつわる歴史の話を一つ、、、、

 アヘン戦争は何故起こったか?

 イギリス国内での茶の大衆市場が拡大、消費が増大したため、中国から茶を輸入していた東インド会社の中国貿易への依存が高まる。

 その結果、イギリス政府にとって銀流出という大きな問題が発生する。

 イギリスが中国から輸入する茶の見返り品として適当なものがないため、決裁手段としての銀が大量に中国に流出したのである。

 深刻な銀不足に対し、いまさら茶の輸入を抑えるわけにもいかず、、、、

 そこで、植民地のインドでケシを大規模かつ大量に栽培、アヘンを生産し、中国に輸出したのである。

 その結果、中国人はアヘン中毒になり、精神も肉体もむしばまれ、廃人同然となり、国内は荒廃していく。

 その貿易の決裁手段は銀である。

 今度はアヘンの輸入量の増大により、中国から大量の銀が流出し始めた。

 中国(清)政府は、困り果てて国内のアヘンの取り締まりを強化し、アヘンを没収し始める。

 それに対するイギリスの報復がアヘン戦争(1839~1842年)である。

 清国は戦争に負けて、イギリス他、西洋列強のほしいままに侵略され、やがて日本も侵略に加わり、日清戦争、日中戦争、第二次世界大戦にいたるのである。

 イギリス人のお茶好きが、その後の近世の世界史をつくったのである。

 高校の世界史では、お茶と第二次世界大戦の関連性について、ちゃんと教えているのかね~

 北朝鮮の政府自らが麻薬を製造し、偽ドルを作り、、、

 一昔前のイギリスの悪事のほうがもっと酷いと思うが、、、

 紅玉林檎、、時期はずれになって一山○○円、小麦粉捏ねて、アップルパイを妻が作った。Img_0679 Img_0684        

 アップルパイに ナベショーの手作り紅茶  日本人と中国人はストレートで紅茶を飲むが、イギリス人は必ずミルクと砂糖を入れて飲む。 

 しかし、ミルクの中に紅茶を入れるのか、紅茶の中にミルクを入れるのか、砂糖は何時、、イギリス人は大真面目で延々と議論する。

 結論が出なくて、遂に英国王立協会より正式な紅茶の入れ方が発表されるに到るのである。Img_0710

モンタはカメラを向けると目をつぶる、、、

フラッシュがまぶしいらしい。

だから、なかなか目を開けた写真をとるチャンスがない。

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2006年10月28日 (土)

アメリカ人は何故お茶を飲まずにコーヒーを飲むのか!

Img_0421syukusyouヒメジョオン(姫女苑)

 北アメリカ原産の帰化植物、明治時代に日本にやってきて定着 全国に広がった。

 セイタカアワタチソウも完全に定着したね

 春に咲くハルシオン(春紫苑)とよく似た花である。

 ハルシオンも大正時代に北アメリカからやって来た。

 茎を折ると独特の臭みがあるが、花自身はこのように美しい。

 高校の履修単位不足問題が顕在化している。

 教育関係者の間では公然の秘密だったのだろうが、ここまで酷いことになってるとは知らなかった。

 特に、歴史や地理を必須科目にもかかわらず、履修していないという、、

 ナベショーも高校時代、暗記が多いので地理、歴史は不得手、、受験では社会一科目だけの大学の理系、社会経済を選んだ

 今となっては、面白いもので、受験科目で得意だった数学はその後さっぱり、

 不得手で嫌いだった国語、歴史、地理、社会経済、倫理思想、、、などは、年を経るほど大好きになった。

 英語は一貫して駄目、不得手、、、 

 お茶が好きなナベショーは世界のお茶にかかわる歴史を知った時、お茶、たかがお茶が世界の歴史を動かしてきたのを知って驚いた。

 世界史に出てくる「ボストンの茶会事件」、、というのを覚えておられますか?

 アメリカが英国の植民地だった頃、アメリカ人も主に茶(テイ)を飲んでいた。

 しかし、1773年、英国の東インド会社のアメリカでの茶の専売を認めた茶条例に怒ったアメリカ市民がインデアンに扮装して、ボストン港内に停泊中の東インド会社の船を襲って船に積んであった茶箱全部を海中に投棄した。

 海中は一面、紅茶で赤く染まったという、、、、、これをボストン・テイ・パーテイーと呼んでいる。

 この事件がきっかけとなり、英国の植民地支配への抵抗運動が激しくなり、アメリカ独立戦争の直接の導火線となった。

 こうして独立を勝ち取ったアメリカ人たちは茶には怨みがあって、その後は飲料として茶よりもコーヒーを飲むようになった。(中央新書 茶の世界史 角山 栄著)

 食い物、飲み物の怨みは怖いもの、、、時として世界史を動かす、、、

 先日、作った沖キスの干物Img_0678 Img_0675  5~6匹づつポリ袋に入れて、冷凍庫に保存した。

 こんがりキツネ色に焼くと、、、この美味しさ、、、鰯、鯵やカマスの干物なんて足元にも及ばない

 この焼き方、、、案外難しいのですよ

 焦がさないよう、、うっすらと黄色いキツネ色、、丁度水分が飛んで身が絞まり、美味しさが濃縮され、、表面がほんの少し色ついて香ばしさが出てきた頃合、、、

 鰯やサンマの塩焼きの焼き方とは異なる、、、 Img_0599   

モンタ、、、この手と足はどういう風になってるの?

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2006年10月27日 (金)

ドングリの餡子でお萩餅

Img_0413syukustyou ラッキョの花

 ラッキョは春に咲いたと思ったけど、畑の隅のラッキョが美しい花をつけていた。

 今年は畑にたくさんのラッキョの球根を植えた。

 芽をだして、細い葉を伸ばしつつある。

 昨年,植えたのは、今年の夏、ほとんど収穫してしまった。

 未だ、小さかったので、今年植えたのは、来年夏に、半分だけ収穫し、後半分は2年ものとして残しておく予定である。

 さて、近くの公園で拾ってきたたくさんのドングリ、、Img_0690

 これを、どのように料理するか~

 今でこそ、食べる人はいないが縄文時代の人々にとって、どんぐりは大切な食料

 縄文遺跡には、土器の中に大量のドングリが保存されていたり、ドングリの皮が大量に見つかっている

 まづ、固い表皮を剥かねばならない、、、、、が、

 固くて全く歯が立たない、、、 包丁の刃も寄せ付けない

 ウ~ン!!!

 どうするか、、、、オッ! 先日のNHKのためしてガッテン 栗を美味しく食べる方法、、何てやってたぞ!

 確か、圧力鍋を使って、何かやってた、、

 このドングリを圧力鍋に入れ、水をひたひたに浸かる程度に、少し入れて

 シューシュー言うこと10分間、

 そのまま放冷、、、、、しばらくすると、鍋の中でものすごい音!!!

 たぶん、鍋が冷えて、鍋の中の圧力が下がり、固いドングリの皮の中の圧力のほうが高くなり、

 皮が破裂した音であろう、、シメシメ!!

 冷えてから、取り出してみると、ヤッタ~  全部 予想通り、破裂してるImg_0695

 一個一個、手で皮を剥いて中の実を取り出した。

 二つに割って、出にくいものは、爪楊枝で掘り出した

 幸いなことに、渋皮は固い殻のほうにくっついて、実のほうにはくっつかない。

 取り出した実はもう少し白っぽい美しい色かと思ったが、茶色であった。

Img_0697 Img_0698

 左側はドングリの殻

 右側は剥いたドングリの実   栗の実とほとんど変わらない風味である

 このまま食べても、茹でピーナツみたいで美味しいが、、、、

水を加えて煮込んで、砂糖入れて、塩をほんの一つまみ入れ、すりこ木で潰して餡子にしたImg_0699

 味噌のようであるが、餡子である。

 固い部分もがあって なかなかきれいに潰れなかった

 砂糖を入れる前に、再度圧力鍋で煮て柔らかくしたほうが良かったか、、、、、

 小豆の餡だってつぶ餡があるから、まあ、全部潰れなくてもいいとするかな

 ここまで、出来たら、もち米を洗って炊かなくちゃ!!!

 遂に出来た!!!

 ドングリ餡子のお萩餅!!!Img_0703_1   なかなか良いお味です!   

皆様も縄文時代の古に帰って、ドングリ餡子お萩を作ってみませんか

栗とほとんど変わらぬお味です。

ドングリ餡子を作りながらブログを書きました。

最後の最後、美味しいお萩に到達できた、、ホッ!

ブログも何とか完結した ホッ!

 Img_0686

  モンタ 全く、好きだね~ うちの主人は!

 ドングリで餡子作るとは、、、 

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2006年10月26日 (木)

沖キス 一箱 

Img_0402syukusyou ノコンギク(野紺菊)

 たぶん、野紺菊、、、、

 野に咲くこの類、野菊、野紺菊、ヨメナ、、

 たくさんの種類があって、よくわからない

 これは、少し紫がかっていたが、近くにあった別の野菊は真っ白、、 

 ヨメナは春に若芽を茹でて胡麻和えなどにして食べる

 冷蔵庫もほぼ空になり、久しぶりに福一焼津流通センターへ魚を買いに行く。

 目の毒、目の毒、、あった!!Img_0656          

 沖キス(二キス)、、、、

 一箱 1570円(消費税込み)

 小分け、ばら売り無し、、、

 さあ~て、、、、どうするか、、買うか買うまいか???

 エイ! ヤッ! 気合とともに買ってしまった!

 沖キスは200~400Mの深い海の底に住んでいて、底引き網漁でいろんな魚と一緒にかかるそうである。

 ネットで調べると沖キスが正式名、キスに似てるのでニ(似)キスとも呼ばれる。

 日本海、山陰が有名だが、太平洋側でも遠州灘で獲れるらしい。

 鮮度が落ちやすいので、港に近い限られた消費地に生や素焼き、干物で売られている。、

 この沖キス(ニキス)は、遠州灘、焼津港に揚がったもの、、、、 

 ところが、この福一焼津流通センターのおねえさん達も、ここを出入りする料理屋の板前さんたちも、

 この魚と食べ方を知らない。

 おねえさん、曰く

 「え~干物が美味しいの! ナベショーさん、、これ二箱とも全部持ってって、干物にして、ここに並べてよ」

 家で重量を計ったら 7Kg  110匹  1570円  一匹14円 だ!

 ナベショーさんちはグルメだから、結構 食費がかかるでしょう? と近所の奥様

 とんでもない! 超安くて、こんなのしか買わないから、普通の家庭より食費はかかってないよ!

 まづは 干物Img_0659    5%の塩水に30分漬けて、外の日向に干す

 この干物が美味しい。

 50匹 、、、出来上がったら、冷凍庫に保存して、ポチポチといただく

 今日は、よく晴れて風もあった。

 でも、夕方には、なお半乾きだったので、明日も干そう。

 夜、一匹試しに焼いて食べてみたが、、グウ~!!

Img_0663 次は、素焼き   このまま食べても美味しい。

 食べる前に、ちょっと火で炙って生姜醤油をかければなお美味しい。

 身をほぐして炊き込みご飯にしても美味しい

 冷凍庫で十分保存できる。

 次は、煮付け

 頭も腹も取らず、そのまま、、、醤油と味醂、砂糖、お酒で、生姜を入れて煮る。Img_0660

 白身魚で 身がポロッと外れ、食べやすく、癖の無い美味しい魚である。

 3匹でも、4匹でも5匹でも、食べてしまう

 この美味しさ、、他の魚に例えると、、、

 無いんだよ、、、、同じようなのが、、

 実は、沖キスと一緒に新しい丸さば(一匹190円)2本も買ってしまった。Img_0658_1  Img_0661                     

一本は2枚におろして煮付けに、他の一本は3枚おろしで塩した。

数日後に、またまた鯖寿司である。

 今日の夕食はImg_0668 Img_0670 沖キスのムニエルのローズマリー風味  と春菊の間引きの胡麻和え

Img_0671 今日は、午前中は魚を買って、料理で終わってしまった

 午後には、茶園の整枝が全て終った。

 何とか、今週中に玉ネギの苗を植えつける畝を完成したいものだ。

 モンタ、、こんなにたくさんの魚、二人で食べるの?

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2006年10月25日 (水)

簡単なお昼

Img_0390syukusyou フジバカマ

 先日もコンパクトカメラで撮ったのを紹介したが、今日はイオス・キッスのマクロ100で撮ったのを載せます。

 解放絞り2.8 ソフトフィルターを使うと、背景処理も出来て、柔らかい写真になる。

 もう少し絞って、左以外の花もピントをクリアーにしたほうがいいかな、、、

 多くの人達は、こんなピンボケ写真と言って手厳しいのだが、、、、

植物図鑑の記録写真では無いので、ご容赦あれ、、、

 今日は、よく働いた、、、!

 天気も良かった!

 暑かった!

 朝、蜜蜂の世話、畑の耕作、お昼の後は、茶園の整枝、再び畑の耕作

 一昨日、畑に、、、気がついたら玉ネギの苗植えるところが無い

 急遽、ツルハシと鍬で固い未耕作のところを耕して、畝作り、、、二畝作るのにあと2~3日かかる。

 夕食後、夕刊読みながらイビキかいて寝入ってしまった、、、、たわいも無く、たった一本のカンビールで!

 蜜蜂は凶暴な群れの密度が全く薄い、、、(左) 

 もう一つのは、溢れるほどいるので心配なしImg_0635 (右) Img_0637_1                              

 左の箱には、幼虫のままで死んでしまうチョーク病に感染している可能性があるので、消毒のためにヒノキの葉を置いている。  

 ヒノキの葉には殺菌効果のあるヒノキチオールという化学物質がふくまれている。

 寒さの中を越冬するためには、蜜蜂が身を寄せ合い、ぎっしりと固まっていなければならないという。

 左の箱は蜂が少ないので、分散して,上まで溢れていない。

 さらに1~2枚巣枠を取り除く必要がある。

  一番手前のは、、餌の砂糖水を供給する箱、約1KGの砂糖を500ccの水に溶かし(もちろん加熱して、)て入れてやる

 一晩で空っぽ、全部巣の中に運んで貯えてしまう。

 長雨の時は、こうして砂糖水をあげないと、幼虫の餌さえも不足してしまう、、

 今は、セイタカアワタチソウの蜜をいっぱい集める時期である

 この春から始めた養蜂、、、初体験なのでわからないことばかり、、、

 お茶も、菜園もそうだけど、、 一年のサイクルが回るまでは、なかなか、予測することが難しい。

 ナベショーの昼食

 昼に農作業から、へとへと、汗ダクダクで帰って来て、、、妻はいない

 冷蔵庫の中ををざ~と見渡して

 10~15分間で作るお昼の簡単料理Img_0565 Img_0632 Img_0646                       

 一昨日のお昼

 竹輪、浜名湖の青海苔、ネギ、ピーマン、昆布出汁と醤油、味醂で味付けの卵ドンブリ

 昨日のお昼

 白菜、ピーマン、ベーコンの野菜炒め、塩胡椒で味付け、卵を真ん中に、、

 今日のお昼

 竹輪、豚肉、ネギ、京菜、白菜,

砂糖と醤油で味付けのすき焼き風ドンブリ 

 夕方、妻が帰宅して、、、、生協で一個100円 安かったのよ、、、、と でっかい殻つきの牡蠣! 

 オオッ! アヒルの卵ぐらいの身が入ってるぞ~!

 オーブンで焼いて、殻をこじ開けて、、、、何だ~ これ!!Img_0649 Img_0651  今まで何回だまされた?    

 Img_0627   

 モンタはお肌のお手入れ、、、だよ

 皆様のおかげで人気blogランキング(花、ガーデニング)が過去最高の12位になったよ。

 強敵に囲まれ、抜きつ抜かれつの接戦中、、マラソン競技みたい

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2006年10月24日 (火)

源 実朝の二日酔い

Img_0342syukusyou お茶の花

 庭にいつの間にか生えて大きくなった茶の木に花がたくさん咲いている。

 椿や山茶花と同じ種類、花の形も良く似ている。

 花の後には椿に似た実がなる。

 実を絞るとお茶油が採れる。

 茶園では、手入れができていなくて、茶樹の生育の悪い木に花がたくさん咲く。

 よく世話されて、樹勢の強い若々しい茶樹には花が咲かない。

 木が弱った時に、生命存続のためにたくさん花が咲き、実を残すのである。

 日本の歴史の中で、僧最澄が西暦805年に中国よりはじめて日本にお茶の種子を持ち帰り、比叡山麓に播き、僧空海も嵯峨天皇に茶を献上したとされている。

 鎌倉幕府、三代将軍 源 実朝が二日酔いで苦しんでいることを聞いた僧栄西が抹茶を一杯差し上げたところ、たちまち気分がよくなり爽やかになったという。

 実朝は甥の公暁(二代将軍 頼家の子)に父の仇と思い込まれて、鶴岡八幡宮の大銀杏の木に隠れていたた公暁に暗殺される。

 実朝は立派な人で、将軍として北条家との関係をよくわきまえてふるまっていただけに、精神的苦悩、苦労も多く、深酒による二日酔いもしばしばだったのだろう。

 今日は生イクラを買ってきた。

 今まではイクラを微温湯の中で、苦労して潰さぬように手でほぐしていたが、先日ブログに訪問くださったmari様より、イクラをほぐす良い方法を教わった。

 100円ショップで買ってきたバーベキューの金網の上で生イクラのかたまりを軽くこすり付けると、潰すことなくイクラをばらばらにほぐすことが出来る。

 なるほど,すご~い! こんなに簡単で、しかも、きれいで、潰れない! 

 mariさま ありがとう!

 後は、お酒で洗って、従来どおりである。Img_0608Img_0613 

 今夕はナベショー一人、単身赴任のときは、夕食に何を作ってたか?

 餃子、カレーライス、天婦羅、豚カツ、ハンバーグ、牛ステーキ、魚のムニエル、煮魚、一週間~10日ごとに、これら定番が一巡してたな~

 意外と単純、変化に乏しい定番メニューの繰り返しだったんだ!

 カレーライスは、一週間に一度は無性に食べたくなったなあ~

 おっと忘れるところだった、、、、お好み焼きも!

 今日は久しぶりに大阪風のお好み焼きImg_0614 Img_0615烏賊、豚入り Img_0616 Img_0617 出来上がるまで、、、

 最後に、鰹の削り節と青海苔ふりかけて、お多福のお好みソースをたっぷりかけて、マヨネーズ,彩りに刻みネギと紅生姜、、、、、出来上がり!

 Img_0607 デザートは熟した西条柿          Img_0625                            

 モンタも思わず、、、、美味しそう!!

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2006年10月23日 (月)

美しい蝶には、、、

Img_0368syukusyou_1 フジバカマの花蜜を吸うアサギマダラ蝶

 このアサギマダラだけが日本に住む他の蝶とは違う異様なほどの美しさ

 日本全国から朝鮮半島、中国、台湾、ヒマラヤ山脈まで広く分布する

 アサギマダラは羽ばたかないで、ふわ~と滑空するように飛ぶ。

 ところが、近づいて驚かしてしまうと、突然、くるくると輪を描きながら、高く、高く、、舞い上がっていき、小さく小さく、やがて見えなくなってしまう。

 そして、風に乗って遠く、遠くに移動して、今度、再び地上に舞い降りてくるのは、どれくらい離れたところであろうか?

 捕獲した成虫の羽にマーキング(場所、日時、連絡先)して離し、個体が再び捕獲された場所、日時によって、どれくらい移動したかがわかる。

 その研究によると、夏に日本本土で発生したアサギマダラは秋には南西諸島や台湾まで南下、繁殖した子孫が春には北上し、再び日本に現れる。

 中には直線距離で1500Km、一日あたり200Km以上の距離を移動したのもあるという。

 アサギマダラの幼虫は毒性の強いアルカロイドを含むガガイモ科植物を食べる。

 成虫が好んで吸蜜するフジバカマやヒヨドリの蜜にも毒がある。

 アサギマダラは幼虫もサナギも成虫もこれらの毒のアルカロイドを体内に取り込むことによって毒化し敵から身を守っている。

 異様なほどの鮮やかな美しい体色は、敵に毒を持っていることを知らせる警戒色である。

 あまりに美しい女性は、毒を持っているから近づいてはならないというが、いかがなものか?

 女性の美しさは、アサギマダラと違って敵から身を守るためではなく、男達を誘惑するためであるが、、

 美しく美味しい料理は、、、楽しむためでImg_0593 ある!!

 野菜と鶏のクリームシチュウ

 ジャガイモ、キャベツ、玉ネギ、ブロッコリー、鶏

 後は、ご飯と洋風料理なのにキュウリと茄子の糠漬け

 フィニッシュはお茶漬け、、、日本人だよね~! 

 デザートには、熟した西条柿Img_0594    木に自然において置くと、熟するたびにヒヨトリがコツいて食べてしまう。

 全部、取って部屋の棚に並べておくと、順番に赤く熟する。

 二つ切り、四つ切りにして、スプーンですくって食べる。

 たくさん生ったときは、皮を剥いて干し柿にするけれど、今年はそれほど生らなかった。

 次々とヒヨトリに食べられて、とうとう3個になってしまった

 Img_0589

 モンタは夜のお外が気になるよ!

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2006年10月22日 (日)

必殺ハエ獲り男!

Img_0348syukusyou 秋明菊(貴船菊ともいう)

 10月も半ばを過ぎて、野原や空き地はセイタカアワタチソウの黄色い花一面、外来種もすっかり日本に定着してしまった。

 一方、家々の庭 には、秋明菊、フジバカマ、ホトトギス、ツワブキなどが、控えめに咲いている。 

 晩秋の訪れとともに、だんだん写真を撮れる花が少なくなってきたように思う。

 もう幾日雨が降ってないだろうか。

 秋にしては暖かい陽気が続く。

 どこか隠れていたハエが、うるさく部屋の中を飛び回るのもこの季節である。

 テーブルの隅にとまったハエにそっと近づき、両手を延ばした一瞬、パチン!!!

 成功!成功! ハエは、両手の間に挟まれて死んでいる。Img_0360syukusyou

 以前は片手で一瞬のうちに、手のひらでつかんでしまう。

 まづ、ほとんど失敗することは無い。

 早く、捨てて!捨てて! 手を洗って!、、、と妻が叫ぶ

 これは、知られざるナベショーの特技 「必殺ハエ獲り男」である。

 極意を開示しよう!

 ハエのとまっている位置よりも約10センチの高さで両手を広げて、静かに近づき、ハエの頭上で一瞬のうちにパチンと両手を合わせる。

 ハエはビックリして飛び上ったところを、パチンとやられる仕組みである。

 ちょっと練習すれば上手になる。

 成功率が上ったら、難易度の高い片手でひょいとつかむ技を是非練習してください。

 午後は茶園の整枝、半分完了したところで雨、、、ほんとに久しぶりだImg_0375syukusyou

 3週間ぶりかな?

 動力整枝機の操作と振動で右腕がガタガタ、、、動かず、、物が持てない。

 今日の夕食は前日から作ってあった鯖寿司

 焼津港のピチピチの生鯖(ゴマ鯖)、なんと1匹150円、二匹買って塩して酢で絞めた。

 寿司ご飯はもちろん羅臼昆布の出汁で炊く。

 鯖2匹でお米2合、、、鯖寿司4本出来た

 一晩、冷蔵庫で寝かして、丁度食べ頃Img_0581 Img_0583                             

 それに、ノビルを茹でて胡麻和えImg_0567 Img_0569 

 ショッピングの紙袋の中が大好きなモンタ

 こういうややこしいところに、直ぐに入りたがる

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2006年10月21日 (土)

スズメバチからの防御

Img_0309syukusyou ホトトギス

 ヒヨドリとかホトトギスとか、秋の花には野鳥の名前がつけられているのがある。

 このホトトギスは花びらの紫斑模様が鳥のホトトギスの胸から腹のに似ているところからの名前という。

 この季節、山の沢沿いなど湿ったところに咲いている。

 個体によって、花の濃淡が異なるものが多い。

 家の庭にも多く植えられているが、日当たりが良い場所では、長い茎の下葉が枯れてしまって汚くなる。

 今日は蜜蜂のレクチャーの日、10~11月の飼育管理の講義を受けた。

 生徒は3人だが、今日は2人、、

 第一の課題はスズメバチの攻撃にたいする防御

 朝、午後、二回巡回、、見つけたら補虫網で一匹ずつ捕まえる。

 10月いっぱい、スズメバチの攻撃は続くImg_0297syukusyou

 ナベショーの捕獲器には5匹のでっかいスズメバチが入って死んでいる。

 アップすると3匹のスズメバチの死骸が見えるでしょう。

 スズメバチは蜜蜂や昆虫を襲って肉団子にする。

 直接肉団子を食べないで巣に持ち帰って幼虫に食べさせる。

 幼虫はそれを食べると同時にエキスを分泌し、そのエキスをスズメバチが食べるという。

 スズメバチはこの時期、1000~2000匹の大群の巣に成長する。

 そして5~6匹の新女王蜂を育てて、新女王蜂以外の蜂は冬とともに死に絶える。

 新女王蜂は、大きな巣を離れて、一匹で石の影などで越冬し、春になったら巣作りを始めて産卵し、働き蜂を育てて、今の時期に1000~2000匹の大きな巣に成長するのである。

 我々が飼育している西洋蜜蜂は日本のスズメバチにたいする防御の方法を知らないため、大群で襲われたら全滅する。

 生徒の一人は36匹のスズメバチを捕獲したが、巣箱の外には1000匹以上の蜜蜂の死骸があったそうである。

 スズメバチに刺されたら、一回目は大丈夫でも、身体に抗体が出来て、二回目に刺された時に激しく反応しショック死するケースがあるそうである。

 ナベショーの2群ある蜜蜂の一群がこの1ヶ月前から急に機嫌が悪くなり、攻撃的になって困っているという話をした。

 先生によると原因は、蜜蜂が非常に不安定な状態に置かれているためにナーバスになっているのだそうだ。

 つまり、蜂の個体数が少なく、かつ餌の蜜の貯えも少なくて、これからの越冬に不安がある。

 女王蜂の健康が優れない、、、、

 などなど、、

 蜂が暴れるから、ついついあわてて旨く扱えなくて蜂を殺してしまう結果となる。

 すると、蜂はますます怒って攻撃してくる、、

 確かに、この群れは蜂濃度が小さくて、蜜の貯えもいまひとつである。

 砂糖水の供給を増やす必要がある。

 おとなしく機嫌が良いもう一つの群れは、元気が良くて蜂が溢れるほど密度が高い。

 そして蜜もたくさん貯蔵している。

 野菜畑は大根、小蕪、春菊、水菜、チンゲン菜などのImg_0544 小さい苗の間引きを収穫できる。Img_0551

 これらは、そのままサラダドレシングをかけたり、茹でて胡麻和えで美味しく食べられる。

 たくさんあるので、(この10倍以上)近所におすそ分け、、

 庭の隅に、ノビルの若い芽が伸びてきた。

 これも、掘り起こして丸い球根ごと茹でたImg_0556 Img_0553 Img_0555

 今日の夕食は一昨日作った背黒鰯の南蛮漬け、間引き野菜の胡麻和えにノビルの酢味噌和え

 ずいぶん安い食材ばかりだね~

 まあ~ 松茸料理の反動だね!

 ノビルは今からどんどん柔らかい葉が伸びるので、どんどん掘り起こして料理に使える

 茹でて酢味噌和えや胡麻和えも美味しいが、生のまま刻んで鰹の削り節、醤油をかけて、熱いご飯と一緒食べると美味しい。

 生のまま刻んだのに、マヨネーズと醤油で食べるのも美味しい。Img_0519_1

 ネギを刻んだのに鰹節混ぜて醤油 かけてご飯食べるのを猫マンマと言って、美味しいけど余り行儀のよい食べ方ではないらしい。

 しかし、昔、お弁当の中身はおかずが無くて一面猫マンマ 、これ美味しいよ!

 モンタはこういうの食べたこと無いね。

 ブログ人気ランキング、花のカテゴリーで今までの最高13位になりました。

 皆様のご支援のおかげです。

 ありがとうございます。

 ブログの内容は、花だけではなく、料理や旅行、お茶、菜園、蜜蜂などの話題なのですが、、、

 最初、日記というカテゴリーでスタートしたのですが、ちょっと、ちょっと凄い刺激的なブログに囲まれちゃってナベショーには、、、、、、、、、、

 料理や写真、、というカテゴリーだとプロ並みの(否 プロ、、)のブログばかりで気後れし、、、!!

 いや~ 花のカテゴリーも他の方のブログは美しい花やお庭の本格派、、、でも、まあ花が良いか!!

 順位が上れば、それだけ目にとまる機会も多くなるので、たくさんの方々がアクセスしてくださいます。

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2006年10月20日 (金)

カメラの修理が終わった

Img_0292syukusyou 蕎麦の花

 最近はちょっとした畑、田畑に蕎麦の花を見かける。

 趣味で蕎麦粉を打って、蕎麦をやる人もいる。

 蕎麦を食べに行き、仲間の一人が蕎麦に入れ込んでいる人だと、延々と旨い蕎麦に関するウンチクに耳を傾けねばならない。

 蕎麦の花は白いが、このような赤いのが混じっているのもある。

 休耕田で栽培されている場合、畑一面が真っ白、あるいはピンク色である。

 今日はやっと故障したカメラの修理が完了して戻ってきた。Img_0535

 簡単な修理だったので3000円くらいで済んだ。

 バッテリーの入る蓋ユニットの故障のため、電源が入らなかったようである。

 コンパクトデジカメをこの2週間使ってみたが、慣れないためか、やはり使いにくく、良い写真はなかなか撮れなかった。

 一眼レフのイオスキッスデジタルのほうが、安定して十分構図を考慮しながら、シャッターを押せる。

 コンパクトカメラにもマクロ機能はついてるが、花を撮るには、やはり一眼レフのマクロレンズを使わないと無理である。

 今日は松茸の最後の一本を天婦羅とお吸い物にした。Img_0525 Img_0528

 天婦羅は松茸のほかに蓮根、薩摩芋、カボチャ、人参、、、、

 しっかりした歯応えがあり、香りもしっかりして美味しかった。

 お吸い物は羅臼昆布のお出汁に甘鯛と松茸、、、

 お酒と薄口醤油を少し入れるだけで、良いお味になる。

 甘鯛からの上品な甘さと松茸の香りが羅臼昆布の旨さと調和して、実に美味しいお吸い物となる。

 甘鯛は福一流通センターで小ぶりのが一匹300円で売っていた。

 松茸が入らなくとも、甘鯛のお吸い物は美味しい。

 これで、松茸の贅沢料理は全部終わり!

 松茸ご飯、焼松茸、すき焼き、天婦羅、甘鯛とのお吸い物、、堪能した。 Img_0523

 すやすやと眠るモンタ

 ほんとにぐっすり眠ってる、、、、

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2006年10月19日 (木)

松茸のすき焼き

Img_0505_2 フジバカマ

 秋の七草のひとつ、万葉の昔から親しまれている。

 野生のは、色が薄く白に近い、栽培種は花の赤みが強い。

 同じフジバカマ科の花によく似たヒヨドリがあり、いろんな種類がある。

 何故、あのピーピー鳴いて果物を食べていくヒヨドリと同じ名前なんだろう

 今日も良い天気、午前、午後と鎌で茶園の草刈をした。

 あと、半日、動力草刈機で通路や岸のススキなどを刈って、ほぼ終了である。

 T-シャツでの作業なので、腕がススキやノイチゴの針でたくさんの赤い傷が出来てひりひりする。Img_0499

 背の高い草で完全に覆われて、茶樹の姿さえ見えないほどであった。

 7,8,9月、、ほぼ夏の2ヶ月半をほったらかしただけで、これほどの草が生え、それを刈り取る余分の作業となった。

 昨年は、消毒したり、肥料をやって耕したり、、、草など生えなかった。

 数年、放置すれば、ほとんどジャングルと化する。

 多くの日本の田畑、茶園が、農業従事者の高齢化、後継者不足のため、どんどんと放棄されて大昔の自然に帰ろうとしている。

 考えてみれば、弥生時代以来、2000年の年月がかかって自然の原野は開墾され、水が引かれ、山の奥の奥まで水田が作られ、田園風景に変わっていった。

 今の日本の水田を主とする田園風景は、日本列島2000年の大改造の結果なのである。

 やはり、これも自然破壊というのだろうか。

 それが、この数十年で、2000年の昔に帰るだけのことである。

 北海道のひろびろした牧場の風景も明治時代に原野が開墾されて作られた。

 ヨーロッパの美しい景色も、中世時代以来の深い森が切り倒されて、牧畜と小麦栽培のために作られた自然である。

 たった、2ヶ月少しだけ人の手が入らなかった茶園、これほどまでに酷い姿になろうとは思わなかった。

 来週には整枝機で、来春の茶収穫のため、きれいに刈り揃える作業を行えそうである。

 今日の料理

 松茸たっぷりのすき焼きであるImg_0496

 飛騨牛のすき焼き肉、ネギ、豆腐、糸コンニャク、そして松茸

 50年ぶりに食べる松茸のすき焼きである

 松茸は噛むと、しこしことかなりの歯ごたえがある。

 醤油と砂糖の甘い煮汁により松茸独特の香味が強く味わえる。

 う~ん 旨~い!!

 子供の頃はよく食べてたんだな~ これを!

 もっとも肉は牛肉ではなく、家で飼っていた鶏の固い肉ではあったが、、、

Img_0471_1  モンタは毎日、朝夕、同じカリカリばかり食べてよくぞ飽きないもんだね。

 犬を飼ってたときは、ご飯に味噌汁かけて、ほかに肉や魚や骨やいろんなのを添えた食事だったけど、、、

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2006年10月18日 (水)

松茸、、、だ~!

Img_0480_1 松茸

 京都府綾部市の妹から丹波の松茸がクロネコの宅配便で届いた。

 今年は豊作、でも雨が降らないので出遅れてるそうだ。

 国産の松茸が少なくなって久しいが、出るところ、あるところにはあるんですね。

 15センチほどの蕾、、立派な松茸である

 子供の頃は、父親が竹籠いっぱいに十数本、よく採って来た。

 11月に入ってから傘の直径30センチほどの開きのオバケみたいなのを採って来たこともある。

 まづは松茸ご飯

 羅臼昆布でしっかりと美味しい出汁をとり、お酒と薄口醤油だけで松茸ご飯を炊いた。

 懐かしい松茸の香り、昆布出汁の美味しいご飯、、、これは高級料亭の味だよ!

 これは、鰹出汁では駄目、やはり昆布出汁だね!

 次は焼き松茸

 松茸を二つに切って醤油とお酒を垂らしてアルミホイルで包んでオーブンで焼く 

 熱いうちに縦に裂いて、柚子酢を絞ってかける

 おお 濃厚な松茸の香味、、、これぞ松茸の香りだ!!!Img_0489 Img_0491

 

 明日はどんな松茸料理を楽しもうか

 天婦羅、すき焼き、土瓶蒸し、、、かな!

 丹波は栗、松茸、黒豆、由良川の特大鮎、、、、、ナベショーはこんな贅沢な食材に囲まれて子供時代を育ったんだ。

 さて、食後のデザートは?Img_0486

 無花果を半分に切り、小麦粉をまぶしてフライパンで焼き、梨をおろしたのを上にかける

 ウン、ウン、、これはなかなかいけますね~

 もう、無花果も終わり、、林檎の美味しい季節、ぼつぼつ柿も出始めた。

 それから早生の蜜柑も無人販売で並び始めたが、まだそんなに甘くない。

  茶園の草取りがもう一息、、、明日中に、遅くとも明後日には終わる

 そしたら、伸びた枝を整枝機で刈りそろえて来年春に備える。

 今年は、骨折のため、とうとう施肥も消毒も出来なかった。

 来春はどんなお茶が出来るだろうか。

 ひょっとして素晴らしい香りのお茶!!!

 いや、植物は世話せずにほっておくと、生存機能が働いて、様々な香りの成分を発するかもしれない、、、

 子供もかまいすぎて過保護に育てると駄目になるように、、 少々目をつぶってほっておいた方がいいという。Img_0464_2

 モンタ、、、こんな姿でゴメンなさい

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2006年10月17日 (火)

羅臼昆布で野菜の煮物

Img_0119 イヌタデ

 畑や道路脇などいたるところに咲いている

 人の役に立たないからイヌタデというらしい

 花は小さいけれど、たくさん密集して咲くので、少し遠くから見ると、オヤッ 何だろうと思う。

 タデの種類はほんとに多い。

 刺身のつまや鮎の塩焼きのタデ酢として使われるのはヤナギタデ、葉を噛むとピリッした辛味がある。

 しかし、何と言っても、花が大きくて美しく、観賞用として十分耐えられるのは、幾度かブログで紹介したサクラタデであろうImg_0085

 薄いピンクの桜の花のようである。

 庭の一角,このように群生して咲いている。

 枝の挿し木で簡単に増やせるが、どんどん根が地をはって広がっていく

 そのうち、引いてしまわねばならぬほど、広がっていくだろう

 野の花の中では美しい部類である

  柿の季節、我が庭にも渋の西条柿、甘い次郎柿、それに玄関前の植え込みから芽が出て、きっちり8年経って実がなりだした名も知らぬ渋柿がある。Img_0092 Img_0093

 昨年は生り年、渋柿の皮を剥いて、紐で結わえて、吊るし柿をたくさん作った。

 昨年、次郎柿は枝いっぱいにたわわに実ったが、今年は20個くらい、西条柿は5個、玄関のは昨年60個、今年はゼロである。

  今日は、羅臼昆布で野菜の煮物を作ったImg_0476             

 羅臼昆布を水に若干浸して柔らかくして、少しづつ切って干ぴょうで巻いた。

 鍋に昆布出汁を入れ、大根、小芋、蓮根、油揚げ、豚肉、昆布を並べてひたひたにする。

 薄口醤油少々とお酒(料理酒は駄目)を加えて、クツクツ煮る。

 大根が半透明になってきた頃、百合根を一個丸ごと入れる。

 これが甘くて美味しい。 

 これ、最初から入れて煮ると、崩れてどろどろになり、形を成さない。

 煮汁が常に材料をひたひたに満たすように、湯を加える。

 大根が半透明、竹串で刺して柔らかくなったら火を止めて、少々冷ましてから、深皿に盛りつける。

 昆布の美味しい出汁の効いた煮汁をたっぷりかけていただく。

 美味しい煮汁が、材料にしっかりとしみ込んでいる。

 昆布は柔らかく、かつしっかりして崩れない。

 昆布と薄口醤油、お酒、だけでこれだけ濃厚で上品な味の煮物が出来るとは、ほんとに驚きである。 Img_0469

 昨日、モンタはお風呂で洗ったので、白くてきれいになったでしょう!

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2006年10月16日 (月)

ツワブキの花

Img_0438 ツワブキ

 秋も深まり、花らしい花が咲かなくなった頃にこのツワブキの黄色い花が登場するn

 主に海辺に分布するが、蕗に似た大きな葉っぱは、光沢のある緑色をしている。

 ツヤブキが訛ってツワブキになったらしい。

 春に出てくる柔らかい太い茎は、さっと茹でて皮を剥いて煮物にしたり、佃煮のキャラブキにする。

 香りも風味も蕗と全く同じである。

 小さく柔らかい葉は茎と一緒に衣を着けて天婦羅にすると美味しい。

 普通の蕗が早春にフキノトウが出てきて、それから花が咲くのに比べ、ツワブキの花は秋である。

 花が咲き終わるとタンポポのような白い落下傘をつけた種が出来て、風で周囲に飛び、そこから芽が出てどんどん増える。

  広島の瀬戸内海の海辺で一株持って帰って,庭に植えたのが、増えて増えて、、、ギボウシと並んでツワブキは庭のアンダーグランドとして、緑と花を楽しませてくてれる。

 晩秋に、紅葉した葉も散った頃、木々の足元は黄色の花で埋まる。

 やがて冬が来て、花の後に出来た白い綿帽子が風に乗って飛んでいく、、、 

 秋晴れの青い空に蜜蜂は越冬のための花蜜を求めて、忙しそうに飛びかっている

 気温が下がるまでに十分な蜜の蓄えが出来ないと、蜜蜂は冬の寒さの中で飢え死にしてしまう。

 蓄えの蜂蜜が少なくなると、弱い蜂から先に死んで、強い元気な蜂が餌を独占して最後まで生き残るのではない。

 群れ全部の蜂が、少ない餌の蜜を最後の一滴に到るまで公平に分かち合う、、、、

 だから、蜂の群れ全部が同時に弱って一緒に死んでしまう、、、

 今日、蜂の箱を開けてみた。

 未だ女王蜂は盛んに産卵を続けている。

 卵と幼虫、サナギでいっぱいだった

 でも蜜の貯蔵は必ずしも十分ではないので、砂糖1Kgを溶かして与えた。

 でっかい恐ろしいスズメバチも4匹、捕獲器に入っていた。

 毎日、監視を怠ること無かれ!

 芽を出したImg_0448 畑の大根は次第に大きく成長してきた。Img_0446 白菜の苗も大きくなってきた。 

これから、成長にしたがって間引いて、追肥を与え、青虫を退治してやらねばならない。

 今日の料理Img_0429 Img_0461  牡蠣と野菜の中華風炒め 牡蠣を醤油と味醂に浸し、片栗粉をまぶして中華鍋で軽く焼き、ピーマン、ホーレンソウなどの野菜を炒めて中華風に味を整えて皿に盛り、牡蠣を焼いたのを上に乗せる。

 他の一皿はカマスのムニエルである

 Img_0467 モンタと一緒にお風呂に入って、シャンプーで綺麗に洗ってやった

 一生懸命に舌で舐めて、体中の毛を整えている

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2006年10月14日 (土)

舞鶴から敦賀、長浜を経て、、

Img_0377_1 東舞鶴の赤レンガの倉庫群

 10月14日(土)、西舞鶴から東舞鶴に移動し、9時38分の汽車まで、時間があったので、駅から海へ向かっての大通りを歩き、海岸に出た。

 昨日、妹夫婦に車で案内してもらったところを歩いてみた。

 舞鶴にはこのような赤レンガの倉庫が、今なお残っている。

 その一つは赤レンガ博物館として、世界中の古代からの史跡のレンガを集めて展示している。

 すぐ近くの海を見渡せる小高い丘に登ったImg_0373_1。 Img_0384_1                         

 舞鶴は旧海軍の軍港あり、今は海上自衛隊の基地として、多くの自衛艦やイージス艦も配備されている。

 また海上保安庁の巡視艇も配置されている Img_0369_1               

 北朝鮮の核問題による国連の制裁決議により、日本海は当分の間、緊張状態が続く。

 ナベショーは奨学年の時、肺結核にかかって、東舞鶴の国立病院へ母に連れられて診察に行った。

 冬の冷たいみぞれの降る寒い日に駅から真っ直ぐ一直線の広い大通りを母と歩いた。

 そうそう、何とかいうアーケード街があって母が魚を買ったっけ、、

 ヤシマという名前がフッと記憶の中に浮かんだ。Img_0392 おお!アーケードを見上げると Img_0390_1                   

 何! 八島という名前ではないか! 50年以上前のたった一回おとづれたところの名前

 いままで一度だって、思い出しことはなかったであろう、、

 それが、今 ふっと50年ぶりに記憶の中に蘇るとは、、、、

 人間の記憶って不思議なものであるImg_0394    一直線の通りを駅にもどり小浜線9:38の敦賀行き列車に乗った。

 小浜線は、若狭湾にそって舞鶴から福井県の小浜、三方、美浜、を経て敦賀へいたる、

 これらの若狭湾の入り江や半島には、関西電力の原子力発電所がたくさんあり、京阪神へ電力を送る高圧送電線の鉄塔が並ぶ

 この丹後半島から若狭湾にいたる海岸沿いの町々には、朝鮮の言葉と思われるような名前の地名やお寺の名前がたくさんある。

おそらく、中国や朝鮮半島から舟で渡ってきた渡来人達は、海が静かならば、九州博多へ、少し流されると出雲へ,さらに流されると丹後半島から若狭湾に上陸したと想像される。Img_0399 Img_0403

 もっと流されれば,能登半島である。

 若狭湾に上陸したならば、山越えれば琵琶湖、直ぐに京都、奈良、大阪、大和である。

 大和政権、邪馬台国論争が盛んだけれど、多くの渡来人は博多、瀬戸内海ルート以外の若狭湾、琵琶湖ルートで来た可能性も大きいのではと思う。

 敦賀の駅で途中下車、駅前の大手スーパーの食品売り場へ飛び込んだ、

 沖キスとエテカレイの干物を買うためである。

 ところが何と! 売っていないのである。

 何処ででも買えるようなものしか並んでいない。

 こりゃ、どういうこっちゃ!!!

 別の海産物屋でやっと沖キスの干物を見つけて買った。

  これらの干物は舞鶴以西の鳥取、島根しか一般には流通してないのであろうか?

 敦賀12:07発長浜行きに乗り、13:51に長浜に着いた。

 土曜日であることと、NHKのTV大河ドラマ、功名が辻の山之内一豊展を開催してるためなのか、

 駅の構内も街も多くの観光客で大混雑であったImg_0410_1 Img_0419_1

 長浜城と黒壁ガラス館、曳山博物館など見学したが、長浜の町は一豊、千代物語一色、人、人、人、、、、いささかうんざりした気分 Img_0416_1 Img_0415_1

そうそう駅に引き上げて米原行きの汽車に乗った。

 米原駅15:09発大垣行き、大垣から新快速で浜松へ、西焼津には18:43に着いた。

 大魔神と信楽焼きの狸をお土産に、、と言うのは冗談 

 これで今回の3日間の汽車の旅は終わり 

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2006年10月13日 (金)

細川藤孝の城、田辺城

Img_0350_2 細川幽斎(藤孝)の城 田辺城

 戦国時代末期、丹後地方は織田信長の命により細川藤孝が明智光秀とともに、この地方を攻略し、支配を完了した。

 細川藤孝、忠興親子は宮津に本城、田辺(舞鶴)、峰山に支城を築いて丹後を治めた。

 忠興は明智光秀の娘、玉を妻とする

 本能寺の変では友だった明智光秀からの加勢要請にもかかわらず、光秀を見捨てて秀吉側についた。

 如何に妻の父である友からの要請であっても、冷静な状況判断のもとにじっと動かず、細川家を守り戦国時代を生き抜いた藤孝、忠興親子、

 一方、石田光成との友情により関が原の合戦で、西軍について戦って滅びた大谷吉継とは対比される。

 忠興は「謀反人の娘」となった妻の玉を家臣と侍女をつけて隠した。

 当時、実家が敵方となった嫁は帰されたり、殺されるのが常、ましてや謀反人の家族は根絶やしが常識だった。

 それほど玉は美しい美貌の人、教養もあり、忠興の並々ならぬ思いの人だった。

 玉の美しさが好色の秀吉の目に触れることを恐れた嫉妬深い忠興は、玉の外出を禁じ、籠の鳥であった。

 しかし、共に教養も高く,気性も激しかったため、仲が良かった夫婦仲は次第に様変わりした

 忠興が側室を持ったことも一因であったが、、、

 玉は心のよりどころを求め、キリスト教の洗礼を受け、細川ガラシヤ夫人となる。

 関が原の戦いで、忠興の留守の大阪屋敷において、石田光成の軍はガラシア夫人を人質にしようと屋敷を囲んだが、ガラシヤ夫人は侍女を逃がした後、屋敷に火を放ち、自殺を禁ずるキリシタンの教えにより、家来の刃によって死去する。

 一方舞鶴の田辺城を守る父、細川藤孝(幽斎)は、徳川家康の会津攻めに加わった忠興の留守中、石田光成方の福知山城主小野木の軍勢15000に攻められる。Img_0351

 藤孝は宮津城を焼き、この田辺城に兵500で籠城する。

 藤孝は時代随一の歌人、古今和歌集の伝授の後継者であったため、朝廷は藤孝の討死を恐れて使者を遣わして開城を勧めたが、藤孝は武士の本意でないと断る。 

 そこで朝廷は勅使を遣わし両軍に和議を命じて、50日にわたる田辺城籠城戦は終わる。

 関が原の合戦の軍功により、細川忠興は39万石に可封され、豊前国中津へ国替えとなった。

 戦国の時代のすざましくかつ厳しい細川家の生き様、死に様ではなかろうか!

 13日、夕方、妹夫婦と別れて舞鶴市内のスーパーの食品売り場を覗いてみたら、あのナベショー好物の沖キスがたくさん並んでいたよ。Img_0363 Img_0364

 

 

 生と干物の両方、、、なんとこの安さ、、、山陰地方の地元スーパーではこのようにして売られているし、商店街の魚屋を見たら、発砲スチロールの箱の中に生の沖キスがたくさん売られていた。

 買いたいところだが、明日の夕方まで持たないだろからやめた。

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ナベショーの故郷 丹波の綾部

Img_0287_1 ナベショーの生まれ育った故郷である

 兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川

 左中央部の赤い屋根の家が生家である

 でも、この家は叔父からの借家であったため、父が死んだ後に別の小さな家を建てて、そこに移った。

 台風による川の氾濫を機に、川の両側に堤防が築かれ、耕地整理により田は一反単位で整えられ、山の桑畑は整地されて運動公園や福祉施設ができたり、、、

 子供の頃とは様変わりしてしまった。

 大阪7:53発の福知山線、篠山口で乗り換えて福知山10:23着

 福知山は綾部の隣の町だが、織田信長から丹波を所領とした明智光秀の福知山城があった。

Img_0273 Img_0272

 福知山の駅は一部工事中ではあるが、近代的な立派な駅となり、駅前の街並も美しい。

 山陰地方、丹波の中心の町である。

 福知山から舞鶴線に乗って二つ目の駅が綾部である。

 綾部って何が有名?

 大本教の発祥の地で本殿のあるところ、女性のパンスト、メリヤスの下着メーカーのグンゼ(旧 郡是製糸)の発祥の地、本社工場のあるところ、それに日本で最初の平和宣言都市くらいかな、、、 Img_0280 Img_0282

 綾部の駅前、、とても福知山の比ではない。 

 綾部のキリスト教会が昔からアンネの日記のアンネのお父さんとの交流があり、彼から贈られたというアンネのバラが育てられている。

 妹夫婦が駅に迎えに来てくれて、車で姉や両親の墓参りに連れて行ってくれた。Img_0298_1 Img_0299

 美味しいという蕎麦屋(そばの花)で昼は手打ち蕎麦を食べた。

 看板も何も出ていない農家の建物、元JAの人が趣味で蕎麦を始めた店という

 讃岐うどんのようにしっかりとこしのある美味しい蕎麦であった。

 墓参りの後は、足利尊氏の産湯の水を汲んだというお寺、安国寺へ行った。

 上杉家から足利氏に嫁いだ清子は尊氏と弟直義を生んだ。

 尊氏が生まれる時、母清子がこの上杉の里へ里帰りして、上杉氏の菩提寺である光福寺(安国寺)の山門近くの別邸で尊氏を産んだ。Img_0308 Img_0310

 上杉という地名、この上杉家が戦国時代に活躍した越後上杉謙信や徳川時代の米沢上杉藩のルーツとは知らなかった。

 上杉はナベショーの村、上林から山の峠を越えたところである。

 安国寺と産湯の水を汲んだ井戸である。

 戦後、綾部において安国寺の古文書の読解により、足利尊氏や母清子の研究が進みつつあるという。

 また、綾部には高倉神社があり高倉宮以仁王が祭られている。

  あまりの平 清盛の横暴に源 頼政と後白川法王の第三王子の高倉宮以仁王が平氏討伐の命旨を全国に向けて発し、兵を挙げるが平氏の軍に敗北して殺される。  Img_0316

 しかし、これにより、木曽義仲、源 頼朝が平家打倒の兵を挙げる契機となる。

 この時、高倉宮以仁王に従って丹波綾部に落ち延びた家来の兵たちは綾部の里に住み着き、高倉神社を祭るようになる。

 この家来達は大槻、四方、渡辺、、、、などであり、綾部にはこれらの苗字の姓が非常に多い。

 今まで、会社や取引先などで知った大槻さんや四方(シカタと呼ぶ)さんに、綾部や福知山方面のご出身ではありませんか、、と尋ねると、ほとんどそうであった。

 ナベショーもこの一族の流れ、、、、、らしい。

 車でそのまま舞鶴まで行き、赤レンガ博物館を見学する。

この建物は旧海軍兵器廠魚形水雷倉庫で、明治時代の旧海軍の遺構として貴重なものである。

 舞鶴には、昔の古い赤レンガの倉庫などがたくさん保存され、なお使用されているものもある。

 赤レンガ博物館には世界各国のメソポタミヤ文明や万里の長城など古くからの遺跡やアウシュビッツなどの多くの史跡のレンガを集めた博物館である。Img_0333 Img_0328                         

 よくぞ、これだけ世界中から集めたものだと感心する。 

 また、日本の明治時代からのレンガつくりの美しい建築物、旧満州時代の大連の建築物、、、写真がすべて網羅され集められている。

 舞鶴をおとづれた時は是非、一見するだけの価値はある。

 北朝鮮籍の船舶入港禁止措置のため、舞鶴市内はパトカーが走り、海上自衛隊の基地の警戒など

 あわただしい雰囲気の日であった。

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2006年10月12日 (木)

四日市から伊賀上野

Img_0214 アメジストセージ

 伊賀上野城の公園の庭園に咲いていた。

 我が家のとは、白いのが混ざってるのが少し異なる

 しかし、大株で圧倒されるような美しさである

 朝、5時に起床、昆布の佃煮、青紫蘇の佃煮と野蕗の佃煮入りのお握り3個とお茶をボトルに詰めて、6時39分発のバスに

 西焼津7:07の下りの列車に乗り、朝食を食べ、新聞を読みながら、浜松、豊橋、名古屋で乗り継ぎ、関西本線四日市10時30分に下車

 今旅行の最初の訪問 四日市の萬古焼きのばんこの里会館に着く。

 ナベショーの持っている古い急須がもしや萬古焼きではないかと前々から考えていたからである。Img_0189 Img_0188_1

 

 しかし、どうもナベショーの急須とは異なるようである。

萬古焼きはご飯を炊く土鍋で有名らしい

一つ欲しかったが、こんな重いのを持ち歩くわけにはいかないので止めた

JR四日市駅は殺風景で見事なほど何もない、、、近鉄四日市が中心で賑やかなのだろうImg_0197 Img_0202                        

 四日市11:53の関西本線の汽車に乗り、亀山で乗り換えて伊賀上野に13:31に着く

 伊賀上野は伊賀忍者、戦国武将の藤堂高虎の作った伊賀上野城、 それに俳人松尾芭蕉で有名である

 というが、ナベショー恥ずかしながら、伊賀の忍者くらいしか知らなかった、

 松尾芭蕉はこの伊賀上野の出身、29歳まで暮らして江戸に出た。Img_0216_1

 丁度、松尾芭蕉記念館で特別の展示会をやっていた

 松尾芭蕉や小林一茶など有名な俳人の自筆の歌や手紙

 芭蕉から近代の正岡子規、高浜虚子にいたる俳句の歴史の解説など、

 昔学校で習って、ほとんど忘れていることばかりであった

  小高い山の広いお城の公園には、松尾芭蕉記念館や伊賀忍者屋敷、伊賀上野城天守閣、それに骨董市、、、大阪の小学校の遠足、観光客でかなり賑わっていた。

 お城は関が原の合戦で戦功を上げた藤堂高虎が築いた城であるが、天守閣は完成して間もなく台風で壊れてしまったそうである。

 今の天守閣は昭和10年に川崎氏が資財をなげうって木造で復興したものである。Img_0218 Img_0224 Img_0225

 日本一高い城壁だそうであるが、城壁も、三層三重の天守閣も非常に美しい。

 どのような角度から写真を撮っても絵になる美しさである

 同じ公園内にある忍者屋敷博物館もなかなか面白い、

 大阪の小学校の遠足、生徒達は大喜び、

 説明してくれる楽しい忍者のお兄さん、様々な仕掛け、からくりのある屋敷内、忍者の使った武器などの展示、忍者の生活、歴史、、、Img_0230 Img_0226

 帰りのバスがなく、伊賀上野駅まで2.4Kmを歩いたImg_0234

Img_0235

 伊賀上野駅から16:31のワンマンカーに乗り、美しい木津川流域に沿って汽車は走る

 加茂、木津駅で乗り換えて、学園都市線、大阪の京橋に18:23に着いたImg_0242_1 Img_0243_1

 夕食は大阪風お好み焼きにビール一本!

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2006年10月11日 (水)

明日から再び汽車の旅

Img_0153_1   これは何と言う花でしょうか?

 1.5mくらいの背丈、茗荷や生姜、ウコン、カンナのような葉と茎、先端にこのような美しい花が咲いている

 北朝鮮の核実験、ほんとに民が飢えているのに、どうしょうもない、、、

 昔、日本が国際連盟を脱退、孤立を深め、世界中の国々を敵に回し、やがて戦争に突っ走ったような状況と似ている。

 今の北朝鮮の体制が、このまま続くことはなく、早い時期に内部から崩壊する時が来ると思うが、可哀想な国である。

 窮鼠猫を噛むで、、何をしでかすかわからないのが恐ろしい

 ナベショーは明日から再び、鉄道の日記念キップで2泊3日の汽車の旅に出発する

 今度はナベショーの一人旅、名古屋から関西線で伊賀上野、大阪で一泊、福知山線で福知山、郷里の綾部の墓参り、舞鶴で一泊して小浜線で敦賀、北陸本線で下って長浜を見学し、米原へ、東海道を上って静岡へ、、、というコースである。

 ナベショーの旅や山登りには共通点がある。

 山登りを例にとると、自宅を中心に同心円を描いて、その範囲にある山を一つ、一つ丹念に登っていく。

 さらに、外側に円をジワリ、ジワリと広げ、とその範囲の山を登り尽くしていく。

 広島に単身赴任してたときも、その方式で広島県、山口県の山々、瀬戸内海の島々、半島を歩き尽くして征服していった。

 静岡では、安倍川流域、寸又峡周辺、富士山」周辺へと広げながら、南アルプスの南部から北上し、やっと八ヶ岳へ、、、

 だから、いまだに穂高や槍ヶ岳、立山など有名な北アルプスの山には登っていない。

 青春18キップや鉄道の日記念キップの汽車の旅も静岡を中心にだんだん範囲を広げている。

 今年の冬は信州松本から糸魚川、さらに福井県の東尋坊(俳優の榎本孝明さんに無人駅のホームでばったり、親しくお話が出来て、ツーショットで写真も、、やさしい惚れ惚れするような良い男だよ!)、越前蟹料理のフルコースという旅も楽しんだ。

 今は外が雨、、明日は晴天、回復するそうだ!

 今日はJRのダイヤを調べて旅程を組み、NETで途中下車の駅周辺の見所を調べ、ホテル、旅館の予約を完了して準備OKである。

 また、ブログの更新が3日間でできなくて申し訳ありません。

 さて、今日は妻が静岡へ泊まりに行ってナベショー一人、、

 ブログのこつ様のローストポテト・ローズマリーポ風味とナベショー得意の海老料理を作った。Img_0177_1

 ポテトを皮ごと、よく洗い適当に切って塩胡椒、オリーブオイル、ニンニクタタキを加えて混ぜ合わせ、玄関先へ行ってローズマリーの葉をたくさん採ってきてポテトの上にパラパラ、、

 アルミホイルで蓋をし、オーブンで210度、20分、アルミホイルを除いて5分、こんがりと焼きあがったら出来上がり

 ローズマリーの香ばしい香りが漂う

 スーパーのチリー産の15センチくらいの生の有頭海老(5匹で400円)を出刃包丁で頭から下を殻ごと背開きにし、、広げて並べて、ガスオーブンで焦がさないように(少し焦げた、、)注意しながら、こんがり焼いた。

 それに、小蕪、百合根、人参、ピーマン、を電子レンジで火を入れて、海老に付け合せて皿に盛った。Img_0175

 バターにおろしニンニク、味醂、醤油少々を加えて加熱して作ったバターソースを海老や野菜にかけた

 水分が飛び、美味しさ、旨さが濃縮され、こんがり焼けた素材の香ばしさ、、、、、

 バターソースの香味が溶け合って、美味しいハーモニー、、、、

 ナベショーは待ちきれずに、海老の頭,、殻どとぱりぱりと口の中、、、

 バターソースはベークドポテト・ローズマリー風味にも合う

 ナベショーがいた姫路には、大きな海老をこのように焼いた海老ステーキを食べさせる有名な○○屋という店がある。

 ナベショーも数回食べた。

 海老は巨大、豪華で美味しいのではあるが、、、

 残念ながら焼いた海老の上にかかっているソースが駄目である。

 牛ステーキならそれでもいいが、海老の香ばしい磯の香りが死んでしまっていた。

 焼いた海老にかけるふさわしいソースがないか、、と試行錯誤して、このバターソースが最も美味しく、焼いた海老の美味しさを引き出すことがわかった。

 それ以来、この海老料理はナベショーの定番料理となった。

 いや~、そんなのみんな知ってるし、作ってるよ!   って言われてギャフンかな? Img_0184                               

 モンタはすやすやとお昼寝、、、

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2006年10月10日 (火)

コルキカム(イヌサフラン)

Img_0158_2  コルキカム(イヌサフラン 百合科)   

 ニョキ、ニョキと伸びて、ピンクの花が咲いた。

 彼岸花のように花が咲いた後に、葉が出てくるので、彼岸花の種類かと思えば、百合科の花

 イヌサフランという別名のごとく、サフランやクロッカスの花に似ている。

 ずいぶん昔から庭に球根を植えっぱなし、、

 でも毎年、この季節になると思い出したように突然、地面から顔を出して花が咲く

 今、花だけが咲き、花が終わった後の晩秋から冬にかけて他の草が枯れてしまったところに、地面から葉が出てくる

 寒風の中で、葉が冬の弱い日光を独り占めして成長して、地下の球根の中に栄養分を蓄える。

 春になり他の植物が生長し、生い茂って強い夏の太陽を遮って、涼しい日陰の中で球根は夏眠する。

 これらの植物の知恵である。

 畑に種を蒔いた大根や小蕪、水菜など、いっせいに芽を出し、白菜やキャベツの苗も、見違えるほど大きくなってきた。Img_0140_1                      

 ピーマンの木が一本、、なおも大きく立派な実を毎日生り続ける。

 大根や小蕪、チンゲン菜、などの小さな苗がびっしりと生えて大きくなる。

 これらを成長に合わせて間引いていく

 かいわれ大根のような小さいのは、そのままドレッシングをかけてサラダで食べたり、味噌汁の浮かしにする。

 もう少し大きくなると茹でて胡麻和えや炒め物、、、毎日の食卓を楽しませてくれる。Img_0172 Img_0168  

 ロシア産のタバラ蟹の爪と胴の部分のみの冷凍が安かった。

 500円で一袋買って、写真のはその半分 茹でて包丁で切れ目を入れ、中の身を取り出し三倍酢で食べる

 最初は箸でほじってたが、そのうち手で身をほじくりだす

 確かに、面倒だから安いのであろう。

 このまま味噌汁にしても美味しい。

 このほぐした身で蟹餃子、蟹サラダ、蟹玉スープで楽しめる

 蟹のちらし寿司にもなるぞ!Img_0059_1

 鉄道の日記念キップの未使用がまだ残っているので、

 今週末にかけて、一人でどこかへ旅しようかな、、、、

 気候が良いので、モンタも外へ出ると気持ちよさそうである。

 モンタからも 特に皆さま ポチン クリックよろしくお願い申し上げます。

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2006年10月 9日 (月)

蜜蜂の越冬準備

Img_0127 セイタカアワダチソウ(背高泡立草)

 北アメリカ原産の帰化植物、戦後、急速に日本全国に広がった。

 春の杉花粉と並んでセイタカアワタチソウは花粉症の元凶と間違ってさわがれた。

 河川敷や空き地、道端など一面に群生して、黄色く染める。

 小さい花がたくさん密集するので、穂のように見える(永田芳男著 山渓)

 蜜蜂にとっての最後のまとまった大量の蜜源である。

 暑い夏が終わり、秋になり、蜜蜂は越冬の準備に入る。

 女王蜂は11月中旬まで産卵を続ける。

 今、巣箱の中は蜂の成長しつつある幼虫と間もなく孵化する蜂がぎっしり詰まっている。

 夏から秋まで働いた蜜蜂は、その役目を終えて晩秋までに死に絶える。

 今から晩秋にかけて生まれる働蜂が、越冬して来春再び女王の産卵が始まって、新しい働蜂の誕生まで引き継ぐ。

 そして、今、働蜂は冬を越すための食べ物、暖房のための花の蜜、花粉を巣に満杯にすべく、葛、コスモス、セイタカアワタチソウの花に群がっている。

 この秋晴れの暖かい数週間が勝負である。

 蜜蜂にとって、今の季節はスズメバチの襲撃に対する戦いというおおきな試練もある。

 ナベショーのスズメバチ捕獲器の中には偵察に来た2匹が死んでいる。

 また、食べるだけで何の役に立たない大きな体の雄蜂は、働蜂によって無理やり巣箱から寒い外へ引きずり出されて死んでしまう。

 なんとも哀れなこと、、、、、、

 ナベショーは、今蜜蜂のために、どんな作業をしてるか?

 2段あった巣箱を一段にし、十数枚あった巣枠を順次減らして、最終的に6枚くらいにする。

 また、貯蔵蜜の状態を見て、少なければ砂糖水を餌として供給する。

 そうすれば、蜜蜂の密度が高くなり、ボールのようにぎっしり球状に密集して固まって寒さから守り、冬を越せるようになる。

 ボールの中の方の蜜蜂が暖まり、外の方の蜜蜂が寒くて体温が冷えてくると、中心部の暖かいところへ潜り込む。

 蜜を食べて、そのエネルギーで暖まるのである。

 一つの群れはおとなしくて、静かで何の問題も無い、、、可愛い可愛い蜜蜂ちゃんである。

 でも他のひとつの群が一ヶ月ほど前から突然凶暴になり、手袋なしには作業が出来なくなった。

 なおも理由がわからない

 可愛いはずの蜜蜂が全く可愛くない、、、ストレスの対象、、!!

 今日の作業で、もう砂糖水の供給以外に、巣枠を引き上げる作業はしないので、少しは楽になるが、、、

 来春には、おとなしくなって、今までの可愛い素直な蜜蜂ちゃんになってくれてることを祈るよ、、 

 北アルプス白馬岳の遭難のTVを見て驚いた。

 救助されたリーダーの男性山岳ガイドのインタービューを聞いて呆れた

 すでに麓から雨の中を登っていき、尾根で強風と雪で動けなくなったと、、、

 登山服に雨具だけの装備、、冬登山装備でなかった、、と、、

 低気圧による天候の急変に対応できなかった、、、

 メンバーは体力の劣る60歳前後の女性達

 何のための山岳ガイド?  あまりにお粗末な遭難であると思う

 有名な立山での遭難と全く同じ状況である。

 立山の場合、中高年パーテーで、登り道ですでに雪が降り始め、

 先に登った人達が引き返してくるにもかかわらず、登り続けて雪とい強風で動けなくなり遭難した。

 Img_0073

 モンタ 天気が良くて爽やか、、外のほうが気持ちがいいね

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2006年10月 8日 (日)

デジカメが故障した

Img_9806syukusyou 木瓜(ボケ)の実

 木瓜の花の後、林檎に似た直径3~55センチくらいの実が生った。

 もうすぐすると黄色く熟する。

 甘酸っぱい香りのよい固い林檎の味がする。

 これを果実酒に、砂糖漬け、またはジャムにしたらきっと美味しいに違いない。

 台風並みの発達した低気圧の影響で東北、北海道は大荒れ、、海も山も遭難事故の続出、、、

 何故、こんな最悪の状況下に海釣りにいったり、夏、秋の装備で北アルプスに登るのだろう、、といつも疑問に思う。

 昔、10月中頃、秋の紅葉を見ようと大阪から来た5~6人の登山者達が、夏と変わらぬ装備、服装で立山連峰に登り、強い風と雪で遭難死した有名な事例がある。

 この遭難事故は秋の山が如何に怖いかの事例として、よく紹介される。

 秋とは言え、10月の3000mのアルプスは冬そのもの、天候次第で雪、吹雪、強風、雨、、危険である。

 数年前に南アルプス 2600mの茶臼岳に9月23日のお彼岸に登ったが、

 よく晴れた朝には、霜柱でザクザクだった。

 無人の山小屋で、セーター、衣類を着込んで寝袋で寝たが寒くて幾度も目が覚めた。

 先日の台風の影響を受けた熊野灘の荒れた海を見てきてるので、小さな釣り舟で危険な外海へよくぞ行く気になったと思う。

 亡くなられた人には気の毒だが、せっかくの3連休、、楽しみにしており、何としても計画を中止することが出来なかったのだろう。

 気持ちはわかるが、リーダーにとって、計画を実行に移すことよりも、状況判断により中止、あるいは撤退する判断と決断の勇気が数倍大切なのである。

 3日間の旅行の紀行文をブログに載せたり、種蒔いた畑を見に行ったり、蜜蜂の世話したり、青紫蘇を全部収穫して佃煮を作り、ラッキョ、九条ネギ、ワケギの球根を畑に植えたりしてるうちに、早3日も過ぎてしまった。

 午後、畑の芽を出した大根を写真に撮ろうとしたら、カメラの電源スイッチを入れても表示が出ない。

 いろいろ触ったが、うんともすんとも反応が無い、、

 毎日、毎日、ブログの写真撮影のために酷使したためであろう。

 電源スイッチの作動が、非常に重い、、

 心地よいカチッという音がしないし、デイスプレイに表示が出ない

 たぶん、スイッチのプラスチック部品の物理的破損故障の可能性がある。

 致命的故障なのか、僅かの修理代で済む軽故障なのか、、、、?

 明日、カメラのキタムラへ修理に出そう

 しかし、ナベショーとして、その間デジカメが無いということは、非常に困ることである。

 最近、交換レンズが2本、相次いで故障し、修理した。

 カメラはナベショーほどタフではないようだ。

 小さいコンパクト型の予備のデジカメが必要かな?

 Img_9815syukusyou モンタ君の写真、、、しばらく載せられないかも知れないんだぞ~

 旅行中、ブロブの更新が出来ていなかったので、人気ブログランキングの順位が、トットットと下がってしまったよ!

 20番以内までになっていたのに、40数番まで急降下!!!

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2006年10月 5日 (木)

旅の最終日、ひたすら静岡へ

Img_0189syukusyou 太地駅より

 今日は汽車旅行の3日目、紀伊半島の南端 太地から静岡へ普通列車で乗り継ぎながら約12時間、、、、ひたすら帰るのみ、、、、

 朝、尚横なぐりの風と雨が強く、国民宿舎からバス停までの100m、こりゃ~濡れるぞ、、、、と心配してたら、国民宿舎のカウンターのお嬢さん、

 「支配人が帰宅する時に駅まで送らせましょう」と。

 乗り継ぎ時間がそれほど無いので、昼弁当を果たして駅で買えるか、、と思案してたら、支配人は駅までの途中のコンビニに停まってくれた。

 9時55分 太地発 紀伊田辺行きに乗り、途中の景色を見ながら12時18分に田辺に着いた。

駅のホームにクエ料理の広告があった。Img_0236syukusyou

 田辺、白浜、など美味しい魚 クエ料理が有名なんだな~

 ガイドブックを見ると、クエ鍋コース 一人10、000~20、000円 こりゃ~豪華だ!!!

 大阪の小料理屋でクエのコースを接待で食べことがあり、実に美味しかった。

 白身であって、脂が乗って旨く、刺身、鍋、、堪能した。

 焼津の福一流通センターで小ぶりのクエ、4000円を買って、家族で食べ、誠に好評だった。

 一人20000円出すのなら、福一でもう少し大きいのを10000円で買い、家族全員で食べるほうが、はるかに良いなあ、、、何て考えてしまう。

 途中、美しい海岸線が続く、、 台風の影響で空も海も凄いなあ~Img_0207syukusyou Img_0191syukusyou_2 Img_0209syukusyou        

 しかし、この南紀の海岸線の国道を車で走ったら、危ないだろうな~

 ナベショーはついつい景色に見とれて、わき見運転してしまうだろう、、、

 ほんとに、堪能した!!!

 紀伊田辺、御坊で乗り継ぎ、13時30分にやっと和歌山行きに乗った。Img_0238syukusyou Img_0245syukusyou 温州みかんの有田付近は見渡すかぎりの蜜柑園である。

 御坊はアメリカ移民で成功した一世の人達が、息子たちに任せて故郷に帰り、老後を過ごす日の岬のアメリカ村が有名である

  和歌山には14時33分に到着、14時37分阪和線に乗った。

  途中、天王寺駅を過ぎて通天閣を横目で見ながら大阪駅に15時58分に着いたImg_0253syukusyou

 遂に紀伊半島を一周した。

 夕食の弁当をキオスクで買って、16時15分の新快速 野洲行きに乗る。

 未だ、通勤時間帯に少し早いので、楽に座れた。

 後は、野洲で米原行きに乗り継ぎ、米原から大垣行きに、大垣から新快速で豊橋へ、豊橋から浜松へ、浜松から西焼津22時11分、無事到着!!!Img_0271syukusyou Img_0219syukusyou

 大阪からは見慣れた景色なので、ひたすら読書に熱中、、

 お茶とお菓子を食べながら、、、

 今までも読んでいたが、外の景色が気になって、それほど読み進んでいなかった。

 ナベショーは山本一力の「だいこん」を、妻は浅田次郎の短編集「見知らぬ妻へ」を読みきった。

 ブログのこつ様のご推奨どおり、「だいこん」は感動した。「続だいこん」が読みたいな~

 お互いに、本に夢中になって、乗り継ぎ駅をミスしないよう要注意だった。

 家に帰りつくと、いつもなら玄関のドアのところで迎えてくれるモンタが、少し奥の方から斜めに見ている。

 なんとなく、いじけて近寄って甘えて来ない。

 抱っこして撫ぜてやり、 いつものモンタになるまで十数分かかった。

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2006年10月 4日 (水)

鯨の町 太地

Img_0080syukusyou 南極海で活躍した捕鯨船

新宮発10時26分上りの汽車に乗る。

 今日の最終訪問地、くじらの町太地には11時47分着予定、

 熊野灘の海に沿って汽車は走る

 雄大な海、美しい海岸線を存分に楽しませてくれる。

 台風16号の影響で、海はところどころ白波が立ち、海岸の岩に白い波が砕けながら打ち寄せる。

 空は暗く、厚い黒い雲が低く、鉛色である。Img_0049syukusyou_1 Img_0053syukusyou_1 Img_0068syukusyou Img_0072syukusyou_1 Img_0073syukusyou_1

 青い空、青い海も良いけれど、このような暗い空、灰色の海もいいものである

 汽車がトンネルに入る度に、今度はどんな景色なのかが楽しみで、カメラを構えて待つ

 一瞬の展望、木が邪魔してシャッターを押せない

 やっと、と思ったら、次のトンネルに入ってしまう。

 11時47分に太地駅で汽車を降りた。Img_0077syuku   

 無人駅のホームの傍の岸にシャジンが咲いていた

 鯨の町というのに、太地駅は山の麓、、海はどこか?

 駅前に町営バスが待っている

 5分も乗ると、海岸側の鯨博物館に着いた。

江戸時代初期、太地において、組織的な捕鯨が始まり、急速に発達した。 昭和に入り、近代的な母船で組織された船団による南氷洋の商業捕鯨が始まったが、近年にいたり乱奪による鯨の激減により商業捕鯨は中止された。

Img_0079syukusyou 最近は鯨資源の調査のために限られた頭数のみ捕獲されている。

 太地町の鯨博物館は、捕鯨の歴史、伝統文化を後世に引き継ぐために昭和44年に開設された。

 今回の南紀の旅、ぜひとも訪れたい所だった。

  館内には、鯨の骨格標本や実際の鯨から石膏で型を取って作成された実物大の15mのセミクジラ、昔の捕鯨に使ったモリ、近代的な捕鯨での捕鯨銃、昔の捕鯨の様子など興味深々の展示ばかりであった。

 写真撮影の許可をいただき、楽しい展示物の写真をとることが出来た。Img_0085syukusyou Img_0083syukusyou Img_0087syukusyou Img_0089syukusyou Img_0090syukusyou Img_0091syukusyou Img_0092syukusyou

 捕鯨銃の先には火薬が仕掛けられていて、命中すると中で破裂し、致命傷を与えるようになっている。

 先端が平らだと、命中せずにクジラの手前で水中に潜った場合でも、真っ直ぐ進んで命中するという。

 熟練した砲手はほとんど的を外すことは無いそうである。

館の外ではラッコやアザラシ、シャチのショーを楽しむことも出来る。Img_0119syukuysou Img_0126syukusyou

 また、外には南極海で活躍した捕鯨船(第11京丸)が展示されており、船の内部も見学した。Img_0136syukusyou

Img_0137syukusyou  

 左の写真は、捕獲したクジラの尾っぽを挟んで、ウインチで母船に引き上げるための挟みである。Img_0132syukusyou

 鯨博物館の側の海岸の景色も素晴らしい。

 台風の影響で、時折激しい雨が降った。

 今日の見学の予定を終わり、町営バスに乗って5分、国民宿舎

 白鯨 に着いた。

 国民宿舎での部屋は美しく、窓の外は太平洋の荒波が砕ける断崖絶壁、雨はいよいよ激しくなった。Img_0141syukusyou Img_0145syukusyou                                

 夕食まで、少し時間があったので、雨の中だったが、徒歩で約1kmの太地漁港と漁協直営スーパーまで行った。Img_0166syukusyou 買ったのはコレッ!! Img_0153syukusyou                                   

 鯨の大和煮缶詰、鯨の干物、鯨ベーコン、鯨ソーセージ、鯨味付け煮、鯨のコロ(皮)

 さて、国民宿舎の温泉にゆっくり海を見ながら暖まり、夕食は、、、、、!!!!

 ずばり、鯨料理のフルコース!!Img_0167syukusyou_6                          

 クジラ刺身、クジラ竜田揚げ、クジラベーコン、クジラ赤身カルパッチオ、クジラオバケの酢味噌、クジラ内臓煮、赤身のしぐれ煮、赤身のはりはり鍋、、

 懐かしいクジラ料理、、、美味しかった!

 外の風雨はますます強く、窓ガラスに激しく叩きつける。 

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徐福伝説の町 新宮

Img_0031syukusyou 徐福公園

 九鬼駅を9時17分、新宮行きの汽車に乗り、熊野灘の海岸を眺めながら走る

 はるか太平洋上の台風16号の影響により、空は暗く、海は荒れて白波が立つ

 しかし、景色としては、これはこれでなかなか良い眺めである。

 相変わらず、くねくねと多くのトンネルが続き、出たり、入ったり、、、、

 素晴らしい展望もシャッターチャンスを逃してしまうか、ブレでピントが合っていない。Img_0016syukusyou Img_0022syukusyou Img_0023syukusyou Img_0025syukusyou                                                    

 やがて熊野川の広い河口の鉄橋を渡り10時26分に新宮駅に着いた。

 新宮は熊野川を利用した木材の集積地として有名であると小学校の時に習った。

 ここで、約1時間30分の次の汽車乗り継ぎの時間待ち、

 新宮駅前の100mほどの徐福公園に行った。Img_0039syukusyou

 徐福は中国秦の時代、はるか東方海上の蓬莱山にある不老不死の薬を求めに行きたいと始皇帝に申し出て莫大な資金を皇帝に出させて旅立つ。

 手ぶらで帰国した徐福は、蓬莱山を発見したが、、、とか何とか始皇帝を旨く言いくるめて、再び資金を出させて大勢の技術者や若者、子供達3000人を連れて、大船団を組んで再度船出する。

 そして、とうとう徐福たちは何日もの航海の末、どこかの島にたどり着いたらしいが、そのまま帰ってくることは無かったという。

 ここまでは司馬遷の史記に書かれている徐福伝説である。Img_0032syukusyou

 日本の古来からの様々な言い伝えでは、徐福の3000人の船団は、この紀州熊野灘、新宮の海岸に上陸したという。

 この熊野地域には徐福渡来の地として数々の伝来資料が残っているという。

 もともと徐福は不老不死の薬を持って、帰国する気は毛頭無く、始皇帝を旨く担いで資金を出させ、船団を組んでの東の新天地に徐福の一族が村ごと移住する魂胆であったのであろう。

 徐福は中国を出るとき、稲の種、農耕器具、様々な技術を携えて日本に渡来した先祖達の一人であったろう。

日本の各地には徐福伝説と蓬莱山と名つけられた山がたくさんある。Img_0033syukusyou

  昨年3月、姫路の会社に勤務している時、中国山東省の港町 煙台市へ6人の技能研修生受け入れのために出張した。

 煙台市の近くには蓬莱という町があり、さらに、近くの西には龍口市がある。

 始皇帝が不老不死の薬を求めている時に、徐福と出合ったのが龍口市、船出したのが煙台の港である。

 実際に、江蘇省連雲港市において、1982年に徐福村が発見されて、徐福が実在の人物であるという学術論文も発表されているという。(新宮市 商工観光課資料)Img_0035syukusyou

 煙台と龍口の間にある蓬莱市の海岸の絶壁には、蓬莱閣という大きな楼があり、八仙人が祭られているのを見学した。

 八仙人は一人の女性と七人の男の仙人である。

 八仙人が舟に乗って海を渡って、東方の海上の蓬莱山に向かったという。

 ただ、そのうちの一人の仙人が空を飛んでいる時、神通力が失せて海に落ちて死んでしまった。

 それで、蓬莱山にたどり着いたのは7人、それが日本では宝船に乗っている七福神となる。

 夷(えびす)、大黒天(だいこくてん)、布袋(ほてい)、福禄寿(ふくろくじゅ)、毘沙門天(びしゃもんてん)弁財天(べんざいてん)、寿老人(じゅろうじん)の七人である。

 徐福伝説と合わせてみるならば、宝舟でやって来た7福神は様々な技術や農耕器具、知識を携えて中国から渡来した徐福の一族のことではなかろうか。

 八仙人のうち一人の仙人が海に落ちて死んだことは、中国から日本への困難な航海でに3000人のうち少なくとも1/8が死んだことを意味してはいないだろうか。

 3000人というのは中国特有の誇張した表現(白髪三千丈と同じ、、)だとしても、舟団8隻ののうち一隻が航海中に沈んでしまったのではなかろうか。

 八仙人のうち、女性が一人だけということは、渡来した徐福たちの多くは男の技術者であることを意味する(困難な航海を乗り切るためには当然であるが、、、)、

 彼らは日本に上陸した後に、多くは日本の女性を妻として子孫を残していった。

 大国主命を大黒様と呼ぶところから、徐福たち渡来人の一人は出雲において大和朝廷と匹敵する力と勢力を持つようになったのであろう。

 以上、徐福伝説とナベショーの想像と仮説を取り混ぜた七福神のお話である。

 新宮の駅で名物サンマ寿司を買って、11時13分発、紀伊田辺行きの汽車に乗った。Syukusyou_12 Img_0043syukusyou

 

 次の鯨の町太地には11時47分に着いたImg_0049syukusyouImg_0053syukusyou 途中の景色を楽しみながらの旅Img_0072syukusyou である。Img_0073syukusyou                                                      

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九鬼水軍の故郷

Img_9995syukusyou九鬼の町

 尾鷲市九鬼町は尾鷲の隣、三方を山に囲まれた静かな入り江の中にある町である。

特に、九鬼水軍の歴史を知りたくて、はじめての紀伊半島一周の汽車の旅の訪問地に九鬼を選んだ。

 伊勢鳥羽に城を構え、織田信長、秀吉の時代に活躍した九鬼水軍の九鬼嘉隆は九鬼に本拠を置く九鬼宗家の分家である。

 南北朝の頃、九木浦に来た藤原隆信は藤原姓を捨てて九鬼姓を名乗り、直ちに築城して水軍を養成した。

 5代目を継いだ光長は豪勇で知略に優れ、尾張三河の海賊が熊野灘の沿岸に来襲し略奪した時、光長は軍船を率いて海賊を滅ぼし、熊野灘一帯から伊勢にいたる確固たる勢力を築き、九木を宗家の居城とし、鳥羽、波切に支城を構えて一族で支配した。

 その後、八代目九鬼浄隆の三男、分家の鳥羽城主の嘉隆は特に武勇に優れて九鬼水軍として頭角を現した。

 織田信長が大阪の石山本願寺を攻めた時に、信長の命により参戦した。

 西国の毛利の村上水軍に対し、自らの設計により鉄張りの大船6隻を建造した嘉隆の九鬼水軍は、毛利水軍を壊滅させる。

 この鉄甲船は名を日本丸、乗組員80人、1500石積、長さ151尺、幅29尺、100挺櫓を主動力とし、多くの工夫がなされていた。

 本能寺の変の後、秀吉に属し、島津征伐や小田原攻めに参加し、朝鮮出兵に当たっては水軍の先鋒となり、その功績により5万5千石の大名となった。

 九鬼氏の家紋は○の周囲に同じ大きさの○を6個配置した七曜紋  北斗七星を表わす

 慶長2年、嘉隆は家督を子の守隆に譲った。 

 そこから嘉隆の悲劇が始まる。

 秀吉の恩に報いるために関が原の合戦の際は西軍に加担、東軍に付いた子の守隆の留守中に城を奪い、ここに父子の争いが起こる。

 西軍、東軍どちらが勝っても九鬼家を生き延びさせるという非情な戦略だったのかもしれない(上田城の真田家のように、、)

 嘉隆の思惑は外れて西軍が負けて、嘉隆は城を出て自国内に潜伏、

 守隆は福島正則を通じて徳川家康に父の助命嘆願、

 二条城で家康は守隆に謁見し、これを許した上で加増の沙汰をした。

 喜んだ守隆はこれを父、嘉隆に知らせんと急使を父のもとに走らせる

 ところが、嘉隆は、守隆が自分を打ちに来たとの家来の言葉により、

 また、別の説では、どうせ助からぬなら潔くという家臣に進言により、

 一足違いで、助命の報が入る寸前に遺書を残して 自刃してしまう

 嘉隆 59歳、九鬼氏はこの後、守隆が水軍を引き継いだが、

 1633年三代将軍家光の時、守隆の3男隆季と5男久隆に家督争いが生じ、

 幕府の命により、隆季は丹波綾部2万石、久隆は摂津三田3万6石へ転封となり、

 戦国大名九鬼は二度と水軍を率いることはなかった。

 明治以後、両家は共に子爵となった。

 綾部の九鬼氏の子孫で、最近亡くなられた九鬼氏は熊野大社の宮司を勤められていた。

 もともとの九鬼の宗家は慶長8年、九鬼城は取り壊され、時代も平和になり、武器を取ることなく,医業を納めて代々家業とした。

 もともと、この浦は九木浦という地名、藤原姓の九鬼氏がここに居城した時、九木の飾り文字として「九鬼」という字を宛てたのであろう。

 この辺は、昔、熊野詣でに関連して、一木、二木、三木、、、、九木という地名が続く。

 もともとは九木であったのであろう。

 ところでナベショーの生まれ、出身は丹波の綾部である。

 綾部の殿様は九鬼さん、、子供の頃、凄い名前だなあ~と思っていた。

 高校の時、九木という苗字の子が幾人かいたこと、などなど、

 戦国時代の活躍した九鬼水軍の九鬼氏が綾部城主の九鬼さんっであること知ったのは

 、ず~と後になってからであった。

 旅館のおばさんが、直ぐ前の九鬼本家を祭る九木神社の宮司さんに聞けば、いろいろ教えてくれるよ、、と。Img_9984syukusyou

 早朝6時、九木神社へ行くと、 白い着物を着た宮司さんが丁度来られた。

 綾部の出身であること、九鬼水軍のルーツについて知りたいことを述べると、

 社務所に案内され、いろんな資料を見せていただき、ざっと以上のようなお話を聞くことができたのである。

 この宮司さんは、丁度年齢はナベショーと同じくらい

 ず~と神主になりたくて、会社勤めをしながら勉強し、定年退職と同時に資格を取って神主になった

 伊勢の鳥羽が自宅だが、九鬼に家を借りて月の2/3はこの九鬼に来て、この神社の宮司を勤めているとのことである。

 神社の祭礼、相談事など、結構忙しいとの事、、、

 なるほど、定年退職後、こういう生き方もあるんだなあ~

 旅館の朝食時間なので、話は尽きなかったがお暇した。

 写真は旅館の二階から、九鬼漁港、、左側が九木神社へ登る石段、、神社の写真は残念ながら手振れで失敗した。

 九鬼はこれから冬にかけて定置網漁が始まり、ブリや鯖などがたくさん獲れるそうであるImg_9993syukusyou

 無人の九鬼駅

 汽車の時間に合わせて、町営バスが旅館や漁港があるところと駅との間を往復してくれる

 ほとんどの若い人達は、となりの尾鷲などへ勤めに行っているのであろう。

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2006年10月 3日 (火)

汽車の旅 松阪から九鬼へ

Img_0255syukusyou_1 鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ

 青春18キップに比べ、ちょっと割高だけど(鉄道の日 3回 9180円、 青春18 5回 11800円)

 10月1日~16日まで有効

 JR全線乗り放題、但し、急行、特急、新幹線は乗れない

 あまり知名度が無いらしく、この駅で購入したのはナベショーが初めてという

 6時前に起床、昆布の佃煮、青紫蘇の実の佃煮に入ったおむすび、番茶をボトルに詰めて6時半出発

 西焼津駅前の駐車場に3日分の駐車料金1500円を払って6時53分に下り東海道線に乗る

 通勤、通学の人達が乗ってくるが、4人がけの座席をゆっくり占領できるほど空いているImg_9918syukusyou

 朝のお弁当を済ませ、新聞を読み終えるころに豊橋へ、大垣行き新快速に乗り換える。名古屋で9時26分発の関西線に乗り、亀山へ11時、さらに乗り継いで松阪に12時08分に着いた。

 途中、四日市付近、鈴鹿山地の山並が美しい。

 いつか、鈴鹿山系の山は登ってみたい。

 松阪で約2時間、有名な松阪肉を食べて、すこし観光の予定である。 Img_9938syukusyou Img_9939syukusyou

 

 ビールを飲ませ、マッサージをして育てたという松阪牛の霜降り肉のステーキ、和田金や三松が有名である。

 でも、目が飛び出るようなお値段のステーキをランチで食べるのは、年金生活者にはあまりに身の程過ぎるし、健康にも良くない。

 まあ、お店だけでもどんなのか、、、話の種に前を眺めながら通り過ぎた。Img_9937syukusyou_1

 そして駅の近く、焼肉、ステーキハウス北村へ入った。

 感じの良い若いコックさんと娘さん、、客は我々だけだった。

 やはり、松阪へ来たからには極上霜降り松阪肉ステーキを食べなきゃ、

 焼き肉定食と極上松阪肉ステーキ150Grを注文した。

 同じものを和田金で注文すれば、確実に2倍以上の値段である

 150Grなので、お肉が薄いため、さっとレアで出されたのを、少し炙って

 お箸でいただいた

 舌の上でとろけるような感触、なるほどこれが松阪肉か~Img_9934syukusyou

 赤身の中に脂肪が細かく分散し、美しく細かいモザイク模様をなしている、、

 確かに、こんなに柔らかく美味しいお肉をいただくのははじめてである

 しかし、それほど一度にたくさん食べられるお肉ではない(お金があっても、、、)

 150Grで丁度適量であった。

 赤身の鉄板焼きとステーキ一人前づつを妻と二人で分けて食べて十分満足であった

 食後に、町をすこし散策したImg_9942syukusyou Img_9946syukusyou

 

 

 

 

 松阪は松阪商人発祥の地、三井本家の越後屋も松阪の出であり、その三井高利ゆかり屋敷跡があった。Img_9945syukusyou_1 Img_9944syukusyou_1

 松阪商人小津家の店は、常時使用人が20数名、多くの部屋と台所、かまど、蔵、納屋、

 千両箱、万両箱、、当時の豪商の屋敷、生活が想像できる。

 また、国学者 本居宣長の住居跡、住居そのものは松阪城内の記念館に移されて見ることは出来なかった。

 松阪14時19分の鳥羽行きの汽車に乗り、多気駅に14時30分、約1時間の待ち合わせで15時27分紀勢線の新宮行き乗り換えたImg_9948syukusyou Img_9952syukusyou

 二両連結のワンマンカー、途中の駅のほとんどは無人駅である。

 深い山の中、川に沿って曲がりくねりながら、トンネル、またトンネル、両脇の杉、桧が植林された山林は、よく手入れされていた。

  また、三重県は静岡と同じくお茶の生産地であり、お茶園も汽車の沿線にしばしば見られた。

 熊野街道沿の山林地帯を抜けると紀伊長島で熊野灘、汽車は相変わらずトンネルまたトンネル、海岸線を走る。Img_9962syukusyou Img_9966syukusyou                                                                                                               

Img_9970syukusyou トンネルを抜けた瞬間、美しい海岸線が一瞬に現れる。

いつも、カメラを構えていないとシャッターチャンスを逃してしまう

線路に沿って走る黒い通信用ケーブルが邪魔して写真を撮れないこともある

対面に座り本を読んでいる妻に「それ!綺麗だぞ!」と叫んでも、

その瞬間、再びトンネルに入ってしまう。

  そうこうしているうちに、汽車は尾鷲Img_9972syukusyoyu に到着した。

後、二つ目の駅が今日の宿泊、旅の目的地の九鬼である。

九鬼は有名な九鬼水軍の発祥の地である。

前日に、宿泊のため、唯一の旅館に電話を入れた。

「えっ 宿泊ですか、、、??  明日、、??」とビックリしたような怪訝な声

  「駅から旅館までのアクセスは、、、タクシーでも?」

 「駅は無人で、タクシーはありません。 駅前で町営バスに乗っていただいて終点です」と。

  どんなところだろう、、、といささか楽しみだった。

  尾鷲を出た汽車は大曽根浦駅を経て、長いトンネルを幾つかくぐり17時28分に九鬼駅に着いた。Img_9976syukusyou Img_0014syukusyou Img_0007syukusyou

 三方を高く険しい山に囲まれた静かな入り江、今まで見てきた熊野灘の太平洋の大きな荒波が嘘のようである

 九鬼駅は無人駅、駅前で待っていた町営バスに乗り、写真左側の海岸線に沿って九鬼の町、終点に着いた。

 バスは旅館の前に停めてくれて、宮崎屋旅館のおばさんが迎えてくれた。

 旅館の前は漁港、直ぐ裏山には代々九鬼宗家を祭る九木神社の鳥居、本殿に通じる石段が見えていた。

 旅館は、もちろんのこと客は我々夫婦のみ、

 10年前、3000mのトンネルが完成し国道が開通するまでは、多くの釣り客が鉄道で名古屋方面から来て、泊まり客で廊下まで溢れるほどだった。

 しかし、国道が開通し名古屋から車で2時間で来れるようになってからは、泊まり客は無くなったという。

 夕食は,イナダの刺身、ボラの塩焼き、野菜の天婦羅、野菜の煮物、、、、、美味しかった。

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2006年10月 2日 (月)

「純情きらり」が終わった

Img_9895syukusyou サクラタデ

 先日も紹介したサクラタデ、、庭にたくさん咲きだした

 小さい花なので、なかなかアップで上手に撮れないが、春の桜のような美しい花である

 NHKの朝の連続ドラマ「純情きらり」が終わった。

 主人公の桜子が、家族や周囲の多くの人に生きる勇気や元気を与え、しかし自らは無理がたたり、結核に感染して死に至ってしまった。

 最後の最後の最終回に、奇蹟を!、、、、と祈る思いでTVを見ていた人はナベショーだけではなかっただろう

 結核の薬,抗生物質のストレプトマイシンがアメリカのワックスマン博士によって発見されたのが1944年(昭和19年)、

 昭和23年頃には、工業規模での生産が開始され、アメリカの医療関係では、すでに臨床に試験的に使用されていたと思う。

 米軍キャンプでジャズの演奏をしていた桜子の友人、高木さんが奔走してアメリカ進駐軍の将校のコネでストレプトマイシンを入手する

 ぎりぎりの最終回で桜子の結核はストレプトマイシンにより回復に向かう 

 ナベショーはこのようなドンデンカエシの最終回を信じて疑わなかった、、、、

 のに ね~     

 ナベショーは小学校1年の時(昭和25年頃かな~)、肺結核にかかり、一学期を行っただけで休学し、2年生の夏休みまで自宅で療養していた。

 父親が疎開するまで神戸三宮で商売をしていたことから、貿易商の知り合いに頼んで、ストレプトマイシンの密輸品を入手した。

 それを田舎の近所の町医者に預けて注射してもらった。

 肺の白い影は急速に縮小し消滅した。

 2年生の秋から学校へ行くことが出来たのである。

 ナベショーの英語ヒアリング能力が皆無なのは、マイシンの副作用により人の言葉が即座に聞き取れないことによる、、、これは余談。

 そういうわけで、桜子の昭和23年、、、ストレプトマイシンはどうだったのかな~?

 米軍とのコネも無いわけじゃなかったのに、、、、

 魚料理が続いたので、お肉料理がムショーに食べたくなった。

 参考はブログ 公邸料理人さるじゅ様のレシピーの豚のスペアーリブのバーベキュー

 ナベショー流にちょっとアレンジして、軽く塩胡椒をすり込んだスペアーリブをアンズジャム、梅酒、醤油、ニンニク、生姜で半日漬け込んで、230度で10分、170度で10分、、途中で漬け汁を再度塗って、こんがりと焼き上げた。Img_9878syukusyou Img_9913syukusyou_1

 

 熱いうちに食べる、、、、なんという美味しさ、

 アンズジャムと梅酒の程よい甘酸っぱさが、よくお肉に馴染んで香ばしい醤油と調和している

 (写真撮るときは、お皿に付いた汚れをきちんと拭いていかねばならないな~)

 明日から3日間(3、4、5日)、鉄道の日記念JR全線乗り放題キップ(普通列車一日乗り放題 3っ日分が9180円)で紀伊半島 一周の旅にでます。

 有効期間が10月1日~15日、青春18キップより若干高いが、ほとんど同じ、、楽しいキップである

 帰ってきたら紀行文をブログに載せますのでお楽しみに!!Img_9882syukusyou

 モンタ君 寂しいけれど一人でお留守番だよ!

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2006年10月 1日 (日)

無花果の甘煮

Img_9835syukusyou_1 彼岸花

10月1日、彼岸花ももう見納め、

 色あせて、半分萎れたような彼岸花は見るに耐えない。

 群生している彼岸花はほんとに絵になるけれど、一つの花をドアップで撮るのもいいね

 こうしてアップで見ると、雄しべを持ったたくさんの小さな花が集合して一つの花を形成していることがわかる

 今日は朝から久しぶりに終日雨、、、

 昨日に、畑の秋野菜の苗を植え、種を蒔いたのは正解だった

 もし、出来ていなかったら、今週後半に天候が回復しても、畑の土が湿ってるので、

 べとべとぬかるんで、作業が出来なかった。

 これで苗はしっかり根付くし、種は今週末には発芽するだろう

 我が家の無花果の収穫はとうとう終わった

 ヒヨトリとの駆け引きは完全にナベショーの勝ち

 夕方に、一日早く収穫してしまう戦術により、たまに1~2個食べられただけで、ほとんど大丈夫だった

 完熟の手前、少し固さが残るくらいで採るので、生食よりも、ジャムや甘煮などの加工に適している

 今シーズン、ジャムを瓶3本、甘煮を2本作ったImg_9291syukusyou Img_9867syukusyou

 

 

 甘煮の作り方

 無花果を80度の熱湯に3~5分浸した後、水洗いする。

 砂糖を溶かした水の中で15分くらい無花果を煮た後、無花果を引き上げて、残った砂糖水を煮詰める

 クエン酸を少々添加する

 消毒したガラス瓶の中に、煮た無花果と十分濃縮した砂糖シロップを入れて密栓して出来上がり

 この美しい半透明の琥珀色、、、、引き上げて、薄いピンク色のシロップをかけていただく

 ねっとりした感触、上品な甘さの無花果、、、ヨーグルトと一緒に食べても美味しいImg_9852syukusyou

 モンタのあくび  今日は雨なので一度も外へ遊びに出て行けなかった、、、、  

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