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2006年11月10日 (金)

平等院と源三位頼政の墓

Img_0672syukusyou 宇治といえば平等院、、

 その美しい姿は、他の寺院と比べても,異色である

 関白藤原道長の時、左大臣 源 重信の夫人から譲り受けた別荘を、道長の子 頼道が仏寺に改めて平等院とした。

 一般には平等院の写真は、この角度で撮られているのであるが、見る角度、方角により、なかなか味わいのある建築物である

 建物をぐるっと一周、、、

 いろんな平等院をお楽しみください

 残念ながら、紅葉はまだ始まりかけたばかり、、、もう1~2週間後だと綺麗だったのに、、、Img_0669syukusyou Img_0677syukusyou Img_0687syukusyou Img_0676syukusyou

 この平等院境内には、ナベショーの10月13日のブログで紹介した、源三位頼政の墓がある。Img_0670syukusyou

 源 頼政は大江山の酒呑童子、鬼退治で有名な源 頼光の流れを汲む源氏の一族

 平安末期、平 清盛の横暴に対し反旗を翻した後白川天皇の第二王子 高倉宮以仁王が源 頼政の勧めにしたがって平氏追討の令旨を諸国の源氏に下し挙兵をうながした

 しかし、事前に発覚し、平 知盛、重衡らの追撃を受けて、宇治川の合戦で破れて源 頼政は平等院で自刃、76歳であった。(西暦1180年)

 高倉宮以仁王も追撃を受けて戦死し、最後まで従った武士達は丹波綾部に落ち延びた。

 この一人がナベショーの祖先なのだが、、、、

 この高倉宮以仁王を祭ったのが丹波綾部の高倉神社である。

 三位という高い位、76歳という高齢においても尚、平氏打倒への無謀とも思える謀略のため、以仁王と共に立ち上がり、そしてその企ては失敗に終わる。

 しかし、頼政と以仁王のまいた種は全国に広がり、ほどなく源 頼朝と 木曽義仲の挙兵、天才義経によって壇ノ浦で あっけなく平氏は滅んでしまったのである。

 何時の時代も、歴史を動かそうとした先駆者は悲劇の人である

 源 義経もしかり、、、

 平氏打倒の先鋒として歴史に名を残し、散っていった、、、やがて平氏を倒した源 頼朝が鎌倉幕府を開く。 

 しかし頼朝の源氏も三代で終わり、北条家が執権として幕府の実験を握る、、、、

 平等院境内の頼政の墓を眺めながら、歴史を創り出そうと企て、無念にも消えていった男達の生き様に美学を感じる。

 頼政の辞世の句

 埋もれ木の花さくこともなかりしに、みのなるはてぞかなしかりける

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コメント

なんだか修学旅行を思い出しました。

投稿: ばら色婆ァバ | 2006年11月12日 (日) 14時47分

ばら色さま
ほんと、修学旅行のようですね。
歴史とそこに生きた人物をたどるのは楽しいことです。

投稿: ナベショー | 2006年11月12日 (日) 20時56分

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