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2006年11月10日 (金)

宇治 上林茶舗

Img_0665syukusyou_1 宇治川 

 11月中旬、例年よりは紅葉は遅く、山々の木々は一部しか色づいていない。

 京阪宇治駅から宇治川を渡る宇治橋から上流を眺める

 右側には、美しい宇治平等院、川の上流へ美しい川縁を約2kmくらい逆登ると天が瀬ダムと発電所、、

 周辺の山々は美しく、 単身赴任で大阪在住の時は、幾度も訪れたところである。

 宇治橋を渡り終えて左側が平等院への参道、右へ行くと宇治の古い町並み、宇治茶の老舗の店が並ぶ

 宇治茶の老舗のなかでも、上林茶舗が有名である。

 宇治茶を仕切っていた上林家は代々、徳川将軍家へ毎年、京都から江戸まで大名行列に匹敵するほどの行列でお茶壷道中として茶を運んだのである。

Syujkusyou 上林茶舗には上林記念館として、多くの当時の茶にかかわる記録が展示されている。

 茶人小堀遠州や秀吉の書簡、当時の茶道具、製茶器具、ルソンの壷、などなかなか興味深い(木曜日は休館)

 この上林茶老舗のHPを見た時、上林家は丹波の綾部、上林村出身,永禄年間に宇治へきて茶業を始めたとある。

 明智光秀が織田信長によって丹波の領地を没収され時、明智に近かった丹波の郷士、上林家も丹波から宇治に移り、茶業を営むことになる。

 その後、宇治の茶師の頭領として頭角を表わした上林家は豊臣秀吉に重用され、茶頭取として宇治茶の総支配を命じられ、宇治郷の代官となる。

 徳川家光の時、将軍家ご用達を任ぜられ、明治時代に到るまで宇治を支配する。

上林家の4人の子供のうち春松以下3人は宇治で、4男は徳川家康の保護を受け三河に定着、三河で茶業を営んだ。

 若狭湾の由良から綾部を流れる由良川、さらに支流の上林川に沿った上林郷 実はナベショーも丹波の綾部 上林郷の出身、先祖達は代々上林郷を支配した郷士の一人であった。

 宇治の上林家もナベショーと同じルーツなのかも知れないぞ、、、、、、?

 3年前に、この宇治を訪問し、上林茶舗の上林春松氏をたづね、親しくお話を伺ったのである。

 上林郷は上林川にそって口上林、中上林、奥上林、、、さらに奥へ峠を越えると福井県の高浜、若狭湾でいたる。

 ナベショーの出身は口上林、 上林家は中上林の出身であり、残念ながらルーツは異なった

 中上林の君尾山の麓の郷士、赤井氏から分かれて上林姓を名乗り、5代続いて上林で茶業を営んだ。

 その居城のあとは、いまも城山と呼ばれて上林にある。

 京都府綾部市の市史編纂の時に取材を受け、数年前には子供と共に上林を訪れて、君尾山や城山を尋ねられたそうである。

 上林では子供の頃、母たちが自然に生えるSyukusyou_13 山茶を摘んで、蒸して,揉み、筵で天日で乾かしてお茶を作った。

 この山茶は上林家が室町時代末期に上林郷で茶業を営んでいた頃の茶樹の子孫なのだろうか?

 本店の他、平等院への参道にも上林茶店はあり、かなり賑わっていた。

 ナベショーも宇治のお茶、煎茶を一袋(100Gr 1200円)買った。

 店頭で飲ませていただいたが、口に残る爽やかなお茶の香りとほのかな甘い渋み、、、美味しいお茶であった。Img_0880_1

 なかなか、こんなふうに美味しく淹れられないのですよ、、、

 そんなことありませんよ、、 これはお客様が手にとっておられたお茶ですよ  85度のお湯、 すこし茶葉を多めにいれる、、、

 しっかり伸びた美しい茶葉であり、東京で好んで飲まれる粉々に砕けた深蒸し茶とは、全く異なる昔からの美味しい煎茶であった。

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コメント

お茶の美味しさは、勿論茶葉の品質に左右されるのでしょうが、微妙な味わいは、煎れる人の心から出ますね。
どんなにいい茶葉でも、熱湯で雑に煎れたらガクッ!。
少しくらい、荒い茶葉でも、その葉の癖を知った人がなだめるように煎れれば、ほんのり甘い穏やかなお茶が入ります。
私、何度か、懐石・茶席、そして煎茶席に招かれました。
同じように、個人的にお茶好きな方のお茶タイムにも・・・どんな席でも、お茶の味は煎れてくださる方のもてなしたい心だと、しみじみ思うのですが。

投稿: ばら色婆ァバ | 2006年11月11日 (土) 22時27分

おかえりなさーい
素敵な旅でしたでしょう。

投稿: なぎさ | 2006年11月11日 (土) 22時51分

なつかしい宇治紀行ありがとうございました。なんと上林家は綾部がルーツですか。野生のお茶を収穫するとは情緒のあること。宇治橋に立つたびに「朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらわれわたる瀬々の網代木」「わが庵は都のたつみしかぞ住む世はうじ山とひとはいうなり」をおもいだしてしまうのです。 

投稿: Yash | 2006年11月11日 (土) 23時50分

ばら色さま
今はご年配の方も含めて若い人も、煎茶の淹れ方の基本をご存知無い方が多い、、、残念なことです。
しかし、ナベショーでも、同じ茶葉でも淹れる時によって美味しさが微妙に変わります。
淹れる人の心の状態、その場の雰囲気、天候などのシテュエーションなどに左右されるのでしょうか?
多数のお客様に淹れるのは、いつもうまくいきません、、

投稿: ナベショー | 2006年11月12日 (日) 08時42分

なぎささま
帰ってきたよ~
お土産いっぱいもって!!!
毎日、土相手のお百姓もいいけど、時々外の世界に出て行くのもいいです。
でも、お金もついついたくさん使っちゃっいました。

投稿: ナベショー | 2006年11月12日 (日) 08時44分

yashさま
yashさまもこの辺をよく散歩されてたのでは、、、と思いながら歩きました。
宇治橋から、朝霧の中の宇治川の景色が目に浮かぶようです。

投稿: ナベショー | 2006年11月12日 (日) 08時51分

こんにちは。

いつもこの川の上流を眺めるけど宇治には、長い間行っていません。
下旬に計画しているスルット関西フリー切符を使っての散策コースに入れておきます。

投稿: ぞう | 2006年11月12日 (日) 15時44分

ぞうさま
瀬田川を遡り琵琶湖まで歩こうと計画したことがありましたが、実現しませんでした。
宇治もなかなかいいところですよ。

投稿: ナベショー | 2006年11月12日 (日) 20時53分

ナベショーさま、はじめまして。偶然、ホームページを拝見しました。なつかしい「かんばやし」のことばに触発されてお便りをさしあげます。
私は、中上林の日置谷というちいさな村で毎日、城山をみながら育ちました。19歳の春に東京にでてきてからもう40年がたちました。
あのころ、上林川で泳いだこと、城山の茶畑を眺めたこと。我が家の横岸に自生している茶畑で、母や祖母がお茶をつんで自前で煎り、お茶に仕立てていたこと。我が家のお茶は番茶でしたが、日陰で育ったためすこし渋い味わいのお茶でした。当時はなんでも手作りしており、みそやしょうゆはもちろんのこと、ときには豆腐までもつくっていたことなど、いろんなくらしの断片が蘇りました。あれから長い時間が経過しているにもかかわらず、子供のころの、これらのくらしの感触は今も指先や舌先に確かに残っています。
愛宕山のふもとの小高い台地に中上林小学校がありました。その学校の真下我が家があったこともあり、小学校の校庭は下校後の遊び場でもありました。あるとき、校庭で手作りの紙飛行機を飛ばしたら向こう側の上林川や城山のほうにずんずんと飛んで行き小さくなって消えました。

投稿: へきだにの子 | 2009年6月15日 (月) 13時50分

へきだにの子さま
ようこそ!
私より少しお若い年齢、
奥、中、口、、よくぞ上林線をスクールバスで高校まで通ったものです。
子供の頃の上林、、川で魚を採ったり、山で遊んだり、、懐かしいですね。
たまたま宇治の上林茶舗のHPから、上林の出であることがわかり、上林氏からお話を伺うことができました。
母が山のお茶を摘んで、蒸して、むしろで揉んで干して作ってました。
懐かしいお茶です。
昨年は、口上林小の50年同窓会を、今は廃校となった口上林小学校を見学して、奥上林の温泉で行いました。
このブログ、、綾部の人たちも幾人か訪問してくださっています。
どうぞ、また来てください。

投稿: ナベショー | 2009年6月15日 (月) 20時29分

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