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ホウチャクソウ(宝鐸草)
宝鐸とはお寺や五重の塔の屋根の四隅に吊るしてある飾りとする風鈴のこと、花の形が似てるのでこの名前がついた。(春の野草 永田芳男 山と渓谷社)
山の中の薄暗い湿地帯に群生してるが、僕の庭にも
、木々の下の日陰に咲く
春の花、アマドコロやナルコユリとよく似た花である
このように、日陰の中に、ひっそりと目立たぬように咲く小さな花である。
4月20日から23日まで、町田に住む義兄と姉の付き添いで神戸、京都に行ってきた。
義兄は81歳、姉は71歳、数年前に106歳の母を見送り子供はいない。
さて、先祖、両親の墓をどうするか、、、神戸にある末寺に祭ってあるお骨を京都西本願寺に移して永代供養の手続き、、、
健康的な不安もあって、ナベショーが神戸、京都への3泊4日の旅程のフルアテンド、まあ秘書役みたいなものである。
まあ、まだ元気な妻と二人の青春18きっぷの旅でさえ、ハプニングがしばしば発生して、アタフタ走り回ることが多々ある。
義兄、姉の場合、二人だけの旅行で、そんなハプニングやアクシデントが起こったら、えらいこと、、、
まあ、そんなことで、まさか、、が起こらないことを祈りながらの付き添いであった。
京都の宿舎は御所、蛤御門の前の京都ガーデンパレス
あの有名な幕末の舞台、1863年、会津、桑名、薩摩諸藩と長州藩の軍隊が衝突、
蛤御門に集結した長州藩は大敗、、、
蛤御門の柱には、当時の鉄砲の生々しい弾痕が残っている
その後、坂本竜馬の策により長州藩と薩摩藩が同盟を結び、鳥羽伏見の戦い
戊辰戦争へと続き、明治維新となる。
さて、神戸のお寺から遺骨を持って、西本願寺大谷本廟へ、、、

ここでは、全国から多くの人たちが永大供養の申し込みに来る
受付カウンターの列に並んで順番を待つ
申し込み用紙に必要事項を書いて、お骨と永大供養のお金を払い込む
申し込みが終了すると、手続きが終わった人達は奥の本堂に移動
供養の読経とお骨納めの儀式、、で終了する

今日、見た通りだから、私たちのうち、最後に残った一人の葬儀とお骨、、頼んだわね、、、と。
今回の付き添い、健康上の理由以外に、後のこと、頼んだわよ、、という意味もある。
どんなに身体が弱っても、これだけはやっておかないと、この先、死ぬに死ねないと、、、
翌日、京都から町田まで送って、取り敢えずの役目を果たす。
多くの人たちが生まれ故郷を離れて都市に住み、少子高齢化、子供のいない夫婦、
独身の方、、さまざまなケースがある。
従来の葬式、お墓に対する状況、考え方は、急激に変わりつつある。
これらに関しては、「お葬式をどうするか」(ひろさちや PHP新書)、「墓をめぐる家族論」(井上治代 平凡社新書)を是非、読んでいただきたいものである。
最近は、夫婦でも、あなたと同じお墓に入るのは嫌よ、、という妻が増えてるという。
また、墓を誰が守るのか、、という深刻な問題もある。
すべての人が避けては通れない道
僕の父は五男だったが、長男はじめ兄達が故郷を出てたので、止むなく先祖、両親の墓を守った。
しかし、お墓やもろもろの法事の問題で、母も父も、兄達との間で非常に辛く悔しい思いをした。
お墓故に父母と一族兄弟たちが争い、気まずい思いをしたことは、僕のトラウマであった。
父が死んだ時、5男故に、村の共同墓地には権利が無く、誰も場所を譲ってくれる人はいなかった。
止むなく、墓地に隣接する所有の山を整地して父の墓を作った。
今は、故郷に在住の妹がお守をしてくれている。
まあ、墓では苦い体験しかしていない。
それゆえに、僕は自分の墓はどこにも作らないと決めている。
子供たちのためにも、、、
さて、みなさんは、、、?
モンタ、、、ほうが僕より長生きするかな?
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