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2013年8月 9日 (金)

舞鶴引揚記念館

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2013 8 6 青春18きっぷの旅 二日目

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早朝のウオーキング

綾部温泉から2.7kmの君尾山光明寺仁王門へ

昨日からの雨のため、山間に霧が降りている。

山はいたるところに烏山椒やリョウブの花が満開、、、、

蜜蜂を飼えば、たくさんの山の蜂蜜が採れそう、、、

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間も無く、国宝 光明寺仁王門

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山を下り、綾部温泉仁王館へ

朝食後、バスに乗って綾部駅に、、、

更に、綾部からJR舞鶴線で舞鶴へ、、、

舞鶴では、ぜひ訪れたかったのが「舞鶴引揚記念館」

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舞鶴は、主として旧ソ連邦、中国からの引揚者を迎え入れた。

13年間に66万人の引揚者と1万6269柱の遺骨を受け入れた。

終戦時、大陸に残された日本人およそ57万人がソ連に送られ、

そのうち約47万人がシベリア各地 他、コーカサス、北極圏の収容所で

長い年月の間、過酷な労働と抑留生活を強いられた。

この記念館では、当時の辛く悲しい抑留生活について展示、、、

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展示品、写真の一つ、一つを見るたびに、胸がいっぱいとなり、涙が、、、

ぐったりした妹を背負って引揚船に乗船する幼い少女、、先に歩くは弟か、、

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シベリアの収容所の食事、、、黒パン、おむすび、コーリャンのスープ

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夕食は、、、

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戦争が終わり、やっと祖国に帰れる、、、、と思いきや、、

ソ連に抑留され、約10年もの間、冬は-30℃の厳寒の中、粗末な食事、、

木を伐採し、運搬し、シベリア鉄道の建設、、、、

引揚船が桟橋に着くたびに、待ちわびる母や妻、、、

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復元された引揚桟橋、、、

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68年前の終戦、、さらに続いた辛くて悲しい出来事、決して風化させてはならない。

機会があれば、ぜひ、「舞鶴引揚記念館」を訪問してください。

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舞鶴から小浜線に乗り、宿泊地 「ちりとてちん」の小浜へ、、、

モンタ、、急に暑さがぶり返したね~

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コメント

戦争を体験していない私にとっての戦争とは、、敗戦とは、、マスコミの記事を読み、そして自分なりに精一杯の想像をめぐらしながら、戦前戦後を生き抜いてこられた方々に思いをめぐらす、、この事が現在の平和な日本に生きる自分に今出来ることだと思っています。

私が子供の頃に母から聞いたことですが、
母の兄は徴兵され南方へ出兵、
敗戦後に戻って来た時には
南方で栽培されていた「サツマイモのつる」を
初めて村に持ち帰ってきたそうです。
きっと、食べる物にも事を欠く悲惨な状況の中で
サツマイモが命を繋いでいたんでしょう。

山間の霧の、そして光明寺仁王門の写真などなど
フレームに入れて飾りたいですねぇ。素敵です!
続きが楽しみです☆

モンタ君、、涼しい場所を教えて~っ!

投稿: chibira | 2013年8月10日 (土) 10時18分

私も子供の頃大連からここへ帰って来ました。
米軍に頭からDDTをかけられた事と、歓迎のお汁粉がお椀の底に1センチくらい冷たいのが出されたこと等思い出します。
立派な記念館や復元された桟橋、感慨にふけりました。ありがとうございます。

投稿: 通りすがり | 2013年8月10日 (土) 14時00分

お久しぶりで~す。
ブログは欠かさず訪問してますよ。お山かなと思ってました。故郷紹介ありがとうございます。ご実家が素敵に残っていて、うれしいことですね。
舞鶴の引き上げ船の話は、涙なくしては・・・戦争の爪痕は本当に痛ましく、私の年代はまだ戦争の影を体で感じながら成長しましたが、若い人たちはどこの話という感覚なのでしょうかね。私の父は戦争がえり、親戚の叔父はロシアで労働してきた帰国者ですが、どの兄弟より長生きしてますよ。本質的に体が丈夫なのでしょう。
今年の夏山は?

投稿: isoji | 2013年8月10日 (土) 15時30分

戦争という言葉が風化されてしまった日本、体験をした人も次第に少なくなり、平和が当たり前の現在です・・・
私以外の家族は満州から皆引き上げてきましたが、父は仕事の関係で日本人全員引き上げるのを見届けてから満州を後にしたので、母は5人の子供を一人で連れ、列車の長旅を何日もし、満州から舞鶴に辿り着いたと聞かされました。
私の直ぐ上の兄は乳児で車中で餓死しました。
余談ですが、昔物売りの押し売りがやってきてゴムひもや雑貨を売りつけにきたらしいでが、母が引き上げる時の苦労話をすると、同情されて物を置いて行ってくれたそうです。
こんなに立派な舞鶴引揚記念館があるのでしたら、母は数年前他界しましたが兄や姉たちと私も是非行ってみたいです。
“いたいけな姉妹の乗船”の写真を見て、私と一回り上の姉も重いリュックを背負ってこんな風だったのではと、涙が止まりませんでした・・・・・

また、シベリアの収容所の食事は伯父が捕虜で亡くなったと聞かされ、粗末な黒パン、おにぎり、コーリャンだけで過酷の労働では死ぬのも時間の問題、戦争にはもはや人道はありませんね。
貴重なお写真ありがとうございました。

ナベショーさんの故郷、綾部は童謡に出てくるような、日本の素晴らしい原風景ですね。
生家が立派に復元されて、想い出が大切に保存され、素晴らしいですね!
ご友人の方の偉業もナベショーさんに負けないくらい立派ですね^^

モンタくん、長くなってしまったのでまたね^^ノ


投稿: ronsard | 2013年8月10日 (土) 16時10分

chibiraさま
僕たちは、戦時中に生まれたとはいえ、直接に戦争中の苦労を経験したことはなく、戦後の復興、経済成長の中で豊かになっていく日本とともに歩んだ幸せな世代といえる。
日本がもと来た道に再び戻らないように、父母や多くの方の体験を後に伝えたいものです。
サツマイモ、、飢えを救う貴重な野菜でしたね。
故郷の山も伐採されて、焼き畑となり、サツマイモや大根を植えてました。
今日は、特別の暑かった、、、、

投稿: ナベショー | 2013年8月10日 (土) 21時29分

通りすがりさま
大連から舞鶴に引揚げてこられたのですね。
そうそうDDTを噴霧する噴霧器も展示されてました。
是非、記念館、訪れてください。

投稿: ナベショー | 2013年8月10日 (土) 21時32分

isojiさま
槍ヶ岳に登山されたんですね。
僕は、この夏の登山、どうしょうかな、、、と思案してます。
子供の頃は、戦地から復員してきた人や、疎開で苦しい生活を体験した人たちが身近におられる中で、いろんな話を聞きながら成長しましたが、今の若い人たちに伝えることは難しいですね。
収容所では、特別身体の丈夫な人しか生き残れなかったでしょうね。
あの、粗末な食事だけでの過酷な労働では、、、

投稿: ナベショー | 2013年8月10日 (土) 21時48分

ronzardさま
戦後、、といっても、もうすでに68年も経ってる、、、
平和が当たり前の時代ですね。
ご家族は満州からの引揚を体験された、、、まさに記念館に展示されている写真そのもの、、、引揚船の中で亡くなった人の水葬、、、遺族の写真や遺骨を胸に乗船する人、、どの家族も、誰かが欠けている、、痛々しいです。
兵隊にとられ、やっと戦争が終わり日本に帰れるとの喜びもつかの間、、ソ連に捕虜として収容所で強制労働の果てに死亡、、悲しいことです。
ぜひ、機会があれば舞鶴を訪問してください。

投稿: ナベショー | 2013年8月10日 (土) 22時00分

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