心疾患で急死した妹の密葬が8月6日、、、
お盆も明けて、21日に告別式
僕と妻は前日に藤枝から京都府の綾部に移動
綾部駅からバスに乗る、、
綾部市のシンボルとでもいうべき綾部大橋を眺め、約20分でバスは僕の生まれ育った故郷の口上林へ、、
曲がりくねった山間の県道を走り、やがて目の前に広い水田と集落が広がる
今は人手に渡っているが、赤い屋根の大きな家が、僕の生まれ育った生家
昭和18年に神戸三ノ宮で商売をしていた父母が姉達二人を連れて、空き家だった父の生家に疎開した。
昭和19年に僕が生まれ、昭和22年には妹が生まれ、家族は6人、、、
もし、疎開が遅かったら、神戸三ノ宮の生田神社界隈は酷い空襲のため、僕は生まれてなかったであろう。
戦後も、父母は神戸に帰ることなく、この地に定住、、
一番上の姉は若くして病死、、間もなく父も、、長生きした母も86歳で死に、、、
東京に住む姉と地元綾部に嫁いだ妹、、、、そして僕の三人になった。
しかし、最も若かった妹が、先に突然逝ってしまうとは、思いもよらず、、、
父母の墓参り
お墓への道は綺麗に掃除されて、、、
檜林に囲まれた村の共同墓地
40年前、67歳で父が病死した時、長男ではなく5男だった父には、この共同墓地の権利が無く、埋葬する場所が無かった。
空いてる場所に父のお墓を作らせて欲しいと願えども断られ、、、、
父が存命中なら何とかなったろうに、、当時、僕はまだ30歳、、、
世間の冷たさを実感した。
しかし、幸いなことに、この共同墓地を囲む山林は父が所有、僕が相続した。
墓地に隣接する山の凸地を地ならしして、僕の家のお墓を作り、父のお骨を納めた。
そして、15年前に母のお骨も、、、
当時、植林したばかりの檜の苗も大きくなり、後50年(孫の代)も経てば立派になるだろう。
さあ、問題はこれから、、
地元に妹がいた今までは良かったが、、、
僕が死んだら、骨をこのお墓に、、、、
でも、静岡からは遠方過ぎる、、、
妻も、子供たちも困ろう、、、、
墓仕舞いをして、藤枝の教会墓地に移すか、、、?
妻はそれを望むだろう、、が、、、
この故郷にある山林や田畑、、、をどうするか、、?
僕が元気なうちにもろもろの課題を具体的に始末をしなければならない、、、
妹のように、何時、どうなるかわからない命、、
今回、実感しました。
翌日の妹の告別式
小、中、高の地元での同級生、市民病院の車いすボランテイア、ウオーキング、などなどの多くの仲間が参列、大勢の賑やかな告別式でした。
モンタのお墓は忘れてない?
明日もお会いしましょう!
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